インド人ジャーナリストがみた日本食と職人精神 世界の日本好きから読まれたインド人の日本論

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自分が小さい頃の記憶でも、人が車の窓を開けてビニール袋を投げ捨てる光景がいくつも見られた。デリーの通りの壁には尿が染みつき、そこから発生する悪臭もびっしりと記憶にこびりついている。人びとはごみや人糞を嫌悪するあまり、自分たちできれいにすることなどできないほど汚れがこびりついていると考えている。それでいて、彼らはごみが放置された環境で、食事をし、笑い、デートを楽しんでいるのだ。

光明寺に話を戻そう。朝日がようやく強い光を放ち始めると、清掃作業に参加していた快活な一団は雑巾や箒をしまい、活動を仕切っていた僧侶、松本紹圭と緑茶をいただく会に移った。彼はその場でわたしを紹介してくれた。わたしは参加者に向かってお辞儀をして、自分がいたのを受け入れてくれたことに感謝の気持ちを示した。平日の朝、仕事前にわざわざお寺まで来て掃除をしようと思ったのはどうしてでしょうか――そう尋ねてみた。

こちらの問いかけにすぐに答えが返ってきたわけではなかった。誰もがじっとお茶をすすっているだけだった。しかし、その頃には待つことの大切さをわたしは理解していた。数分後、サラリーマンの一人が話し始めた。「掃除をすることは、水を飲んだり食事をしたりすることと同じくらい重要なんです」と彼は言った。「インドでは掃除のために人を雇うことがよくあると聞いたことがあります。ですが、わたしたちにとってこれは生活の一部ですし、自分の生活は自分でするべきで、他人にアウトソーシングするものではないと思うんです」

生活における掃除が持つ意味を変えてみる

わたしはこのコメントの直截さに――日本の基準なら礼を失しているとすら言えるほど――衝撃を受けた。しかし、「掃除」というテーマが参加者の発言意欲をかき立てたのは間違いなかった。

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中年の女性が話に加わった。寺に来ることで朝の早い時間に起き、その日に集中して取り組めるようになったとのことだった。少し若い女性は、掃除に参加することで、ほかの大人に小さい子どもを託して外でしばらく時間を過ごす口実になっています、と恥ずかしそうに付け加えた。わたしは必死になって発言内容をメモし、それが終わると顔を上げたが、答えが返ってくるのはそこまでだった。最後に、松本が咳払いをしてから話し始めた。

「みなさん、何のために掃除をするのかとおっしゃいます。ですが、掃除は掃除です。それ以上のものではありません」。参加者の誰もがうなずき、お茶を飲んだ。彼が話を続けた。「掃除には終わりというものがありません。葉っぱを掃いても、その場所にまた別の葉っぱが落ちてきます。それでいいのです。過程と目的のあいだに違いはないのですから」

参加者が帰った後、松本とわたしは寺の縁側に残り、会話を続けた。彼は自分が鎌倉の寺で3年間見習いをしていたとき、1日5時間を費やして庭の手入れからトイレ掃除まで、さまざまな掃除をした経験について説明してくれた。僧侶にとって掃除と瞑想は区別するのではないのだが、同じことは一般の人に響かない。「そこで、掃除が生活の中で持つ意味を変えることで、瞑想をするために避けるものではないと伝えてみるのはどうかと考えたんです」と彼は言う。

じっと座って瞑想するのは誰にでもできることではないが、掃除ならすべての人に関わることだと松本はわかっていた。掃除を通じて誰もが心を豊かにでき、同時に汚れを取り除くことで物理的な環境を居心地のいいものにできる、というわけだ。果たしてこの説明でわが同胞のインド人を納得させられるだろうか、という点は気になったが。

パーラヴィ・アイヤール ジャーナリスト
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