上皇后を大笑いさせた日本通のフィリピン人作家 ショニール・ホセ氏が残した愛憎混じる日本への言葉
フィリピンの作家フランシスコ・ショニール・ホセ(Francisco Sionil José)さんが2022年1月6日に亡くなった。97歳だった。日本で言えば文化功労章にあたるフィリピンのナショナル・アーティストの称号を持ち、アジアのノーベル賞とされるマグサイサイ賞のほか、2001年には日本政府から勲三等瑞宝章を授与された。「仮面の群れ」「民衆」などフィリピン近現代の苦悩を描いた代表作が日本を含む多くの国で翻訳されている。
亡くなってから少し時間がたったが、改めてホセさんについて書いておきたいと思ったのは、私の見た限り日本の新聞やマスメディアが訃報を伝えていないからだ。東南アジアの社会や文化に対して日本人の関心が薄れていると常日頃感じている私は、戦中から戦後にかけて日本と深くかかわったこの作家の記憶を少しでも留めておきたいと考えた。
日本軍兵士からビンタの過去
ホセさんはマニラの歓楽街エルミタで経営する書店「ソリダリダッド」(団結)の2階の書斎でものを書き、客と懇談した。好物のせんべいを手土産に訪ねると、談論風発、縦横無尽。世界情勢からフィリピンの政治、社会、日本の歴史まで、せんべいを口に入れる手とともに話も止まらなかった。近くの和食の店にもよくご一緒した。刺身、寿司、締めのそばと驚くほどの健啖家だった。
1955年に初めて訪日して以来、足を悪くした数年前まで毎年のように日本を訪れ、多くの日本人と交流した。長期滞在も含めて都合4年以上を日本で過ごした。それでもアメリカへの旅の経由地として初めて立ち寄った時は、落ち着かず不安だったという。戦争体験がゆえだ。
大学生だった戦争末期の1945年1月、アメリカ軍の医療班の軍属となり、敗走する山下奉文将軍の隊列を追撃してルソン島を北上した。地元のゲリラ隊でなくアメリカ軍に加わったのは、そのほうが日本に行くチャンスがあると考えたからだった。日本に行って、1人でも多くの日本人を銃で殺したいと思っていたという。それほど日本人を憎んでいた。
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