上皇后を大笑いさせた日本通のフィリピン人作家 ショニール・ホセ氏が残した愛憎混じる日本への言葉

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マニラの街角で日本兵に何度も殴られた。「理由なんてないんだ。道を歩いていたら反対側にいる兵隊に『コラ』と呼びつけられてビンタだ」「日本軍が1941年に来た当初はコメの配給もあり、振る舞いもさほどひどくはなかった。日本語クラスの教師は若い海軍の将校で、英語もうまく優秀な人だった。そのうち食糧にも困るようになり、略奪が始まった。残虐だった。いとこや友人の多くが死んだ」。

憎んでいたはずの日本だが、初めての滞在から多くの出会いがあり、日本の歴史に関する多くの翻訳も読み進めた。作家仲間や文化人との交流を通じて日本に対する認識を深めていった。彼らとの思い出を昨日のことのように楽しげに話した。

例えば三島由紀夫。「アジアの作家の作品集を編む時に三島にも一遍の提供を頼んだ。銀座の喫茶店で会う約束をしたが、ずいぶんと遅れてきた。待たせたあげくに『協力できない』と言う。それならここに来ることはなかったと席を立った。ところがしばらくして『これを使え』と素敵な短編をマニラまで送ってくれた。最初から協力する気だったのだろう」。

横柄な三島由紀夫、謙虚な大江健三郎

「三島は横柄だったけど、文章は華麗だ。大江健三郎ともサンフランシスコで会った。三島と違って謙虚な人柄で、文章は複雑だがストーリーは大好きだ」。三島とともに遠藤周作の態度は横柄(arrogant)だったとする一方で、大江のほか、黒澤明、大岡昇平をdecent(謙虚、礼儀正しい)と評した。

フィリピンの歓楽街でホセさんが経営していた書店「ソリダリダッド」(写真・筆者撮影)

フィリピンでの戦争体験をもとに『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』などを書いた大岡は、「初対面のとき、いきなり『私はフィリピン人を殺していません』って言うんだ」。レイテ戦やミンドロ島での戦争体験など、長く話しこんだという。

ほかにも堀田善衛、川端康成、三浦朱門ら戦後の文壇を代表する人々と交流を重ねた。中でも平林たい子と親しかったようで、何度も話に出てきた。日本文学はエドワード・サイデンステッカーの英訳で親しみ、同氏とも東京やハワイで親交を深めていた。

明治維新について「鎖国で孤立していた日本を、世界の強国に変化させた世紀の出来事」と評価し、若い同胞に向けて「維新に学べ」と繰り返すようになった。

戦争についても「日露戦争は、封建制の下で何世紀も孤立していたアジアの国が近代化できることを示した意味で、日本だけではなくアジアの勝利でもあった。戦時中の日本の残虐性ゆえに多くのフィリピン人は気づいていないが、第2次世界大戦も、献身的な国民のいる小国に何ができるか、私自身も含め多くの人々の目を覚ます効果はあった」と振り返っていた。

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