会議で判断誤る残念な人々と正しい人々の決定差 集団は個人より妥当に判断するが忖度が邪魔する

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社会科学には他にもいくつか「多数決の判断は優れている」と示す定理があります。私が知る限り、そのいずれにおいても、いま挙げた「目的の共有」と「独立性」の条件は決定的に重要です。この2つの条件のうち、どちらか一方でも満たされないと、多数決はそのメリットを発揮しません。

陪審定理では、人数が多いほど多数決が正しい確率は上がります。電気回路が全体で3本だと、間違ってよいのはそのうち1本。全体の電気回路が5本だと、間違ってよいのはそのうち2本。全体の電気回路が7本だと、間違ってよいのはそのうち3本。間違ってよい割合が、1/3、2/5、3/7とどんどん上がっていきます。全体の人数が101人だと、なんと50人、つまり50%近くの人が間違えてもよい。全体の人数が多いほど間違えてよい人の割合が高まる、よって多数決は正しい判断をしやすくなるというわけです。

ところで読者のなかには「いちいち会議で多数決なんてとらないよ」と思った人もいるかもしれません。そうですよね。だいたいの会議は合意の雰囲気で流れていくもので、厳密な投票の手続きをとりません。

しかし人間の集団は多数派の意見が非常に通りやすいのです。少数派は「多数派がそう言うなら仕方ない」や「きっと多数派が正しいのだろう」などと思い、多数派に従いがちなのです。それは事実上の多数決をとっているようなものです。だからコンドルセ陪審定理は、そのような会議にも適用できます。

「皆で目的を共有するが互いに忖度しない」は必須条件

あらためて陪審定理の理屈を、人間集団の意思決定に当てはめて考えてみましょう。1つめの「目的の共有」という大前提は満たされているとして、2つめの「独立性」について考えてみます。

まず情報を持っていない人や考える能力のない人は独立性を満たせません。そういう人は他者の判断に追従したり、空気に流されたりするものだからです。集団の意思決定の精度を上げるには、会議の参加者は、情報をもってないといけないし、考える能力もないといけない。さもないと独立性に違反するし、全体として正しい意思決定をする確率を下げてしまう。

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