労働懲罰説の意識で働こう 宗教思想家・ひろ さちや氏③

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ひろ・さちや 宗教思想家。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院博士課程修了。気象大学校教授を経て、現在、大正大学客員教授。仏教を中心に、宗教や生き方をわかりやすく説く。『奴隷の時間 自由な時間』『「ずぼら」人生論』など、著書多数。

労働には二つの考え方があります。一つは労働神事説です。労働そのものによって神に仕えるという思想です。もう一つは労働懲罰説。労働というのは懲罰で、労働をしている間は刑務所に入っているようなものだという思想です。

ユダヤ教やキリスト教の根底に流れているのは、後者の労働懲罰説です。人間は、本当は働かなくてもよかったのだけれども、アダムとイブが原罪を犯したために、額に汗して働かなければならなくなったと考えます。これが欧米人の労働観です。だから欧米人は、労働時間を短縮しようと、ピラミッド型の組織を作って命令系統をはっきりさせ、能率を上げようとします。

ところが、日本人の労働観は、労働神事説です。きっと弥生文化で培われたのでしょう。古代の祝詞の中に「よさし」という言葉があります。「委託」という意味です。神様から稲を作る仕事を「よさし」された、つまり農業をやることによって神様に仕えているのだと考えるのです。こうした労働神事説では、効率を上げることは考えません。むしろ一日24時間働いて神に仕えたほうがいい。すると「だらだら働いたほうがいい」という考えになります。日本では、どうもこの「だらだら」が大事なことになっているようです。

労働している時間は刑務所にいるのと同じと思って

普通であれば、だらだらと24時間働くことはできないですよね。しかしよく考えてみると、弥生文化のころは、父母が野良で働き、その周りで子どもたちが遊んでいるという状況でした。生活の場と労働の場、教育の場、あらゆる場が一致していたので「だらだら」がよかったのです。その後の農業や家内工業、商店なども、「だらだら」で、やってきました。

私は薬屋の息子でした。父は戦死したので、母が店を切り盛りしていました。だから母がご飯を食べているときは、私が店番。お客さんが来たら母を呼びに行っていました。そうして店の前で遊んでいると、店に来た人がいろんなことを教えてくれました。まさに労働の場が生活の場であり教育の場であったのです。

しかし、今の日本では会社勤めの人が増え、ビジネスパーソンが会社に子どもを連れていくことはできません。労働形態が変わったのです。だから日本人も労働に対する思想を変えて、労働懲罰説に立って考えてみてはどうでしょう。労働の場と生活の場は別であって、労働している時間は刑務所にいるのと同じと思って、その時間をできるだけ短くする意識で働いたほうがよいのでは。

週刊東洋経済編集部
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