競争を誤解する日本人 宗教思想家・ひろ さちや氏①

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ひろ・さちや 宗教思想家。1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院博士課程修了。気象大学校教授を経て、現在、大正大学客員教授。仏教を中心に、宗教や生き方をわかりやすく説く。『奴隷の時間 自由な時間』『「ずぼら」人生論』『あきらめ力』など、著書多数。

競争について、日本人は誤解をしていると思います。

ウサギと亀の話をしましょう。日本人は、ウサギは怠けていたからダメで、亀は一生懸命頑張ったからいい、というふうに見ています。しかし、インド人にこの話をすると、「亀が悪い」と言います。なぜかと聞くと、「どうして亀はウサギが昼寝をしているときに起こしてやらないんだ。声をかけるのが友情じゃないか。亀には友情がない」と、かんかんになって怒るのです。

別のインド人には「ウサギは病気で苦しんでいるのかもしれない。起こしてみないと病気か怠けているか、わからない。起こさない亀のほうがいいという日本人は大嫌いだ」とまで言われました。私は少し落ち込んでしまいましたが、日本人が失ってしまった心をインド人が教えてくれたと思っています。

クーデターが起きない巧妙な社会

日本人は競争をしなければならないものと思い込んでいるようです。競争して頑張らないと落伍者になってしまう、負け組になってしまうと思っています。確かに競争が必要な場面はあると思います。でも、生活のあらゆる場面に競争原理を持ち込むことがいいのか悪いのか、その点をしっかり考えないと、とんでもない社会になってしまいます。

たとえば、2人の人間がいるのにパンが1個しかないという状況があるとします。どうすればいいですかと尋ねると、大抵の人は「半分ずつにすればいい」と答えます。現実の世の中で考えてみましょう。

不景気の今、2人の働き手がいるのに1人分の仕事しかない、という状況は至る所にあるでしょう。そんなとき、「パンを半分ずつにすればいい」と答えた人の多くが、リストラをして1人減らせばいいと考えます。

このことの矛盾に、気がついていないのか、気がついているのに完全に無視をしているのか。日本人の思考原理がそうなってしまったというのは、非常に憂うべき事態ではないかと思っています。

敗戦直後の物のない時代は、大体において半分ずつ食べようということになっていました。その後、経済成長をして2人に5個のパンがある時代になりました。1人当たり2・5個の計算ですが、競争原理が持ち込まれたために、1人が4個、もう1人が1個という分け方になりました。

そういう状況の中で、勝ち組の人がもっとよい社会にしたいと考えた結果、勝ち組が4・5個を取り、負け組には0・5個しかないという社会になりました。それでもクーデターが起きないというのは、巧妙な社会になっているのでしょうね。

週刊東洋経済編集部
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