原田:それが2006年頃で、その頃から日本の企業も中国を市場として完全に注目し始めたんです。当時は中国の若者に関する情報はまだ少なかったので、僕らのリサーチ情報はたいへん貴重がって頂けて、ある企業に中国向け商品を開発するチームに入って欲しいと頂き、1年半、その企業に出向することになりました。
1年半後、戻って来ると、若者研究をしながらコンサルティングする組織を立ち上げなさいということになり、「博報堂若者生活研究室(現・博報堂ブランドデザイン若者研究所)」というチームを立ち上げることになりました。
それまでの自分は、完全なる民間研究者だったので、おカネ稼ぎなんてしたことがない。しかし、研究所は研究をしながらおカネ稼ぎをしないといけない。正直、不安ばかりでした。が、ふたを開けてみると、若者の人口が減り、若者が消費離れしているせいか、ありとあらゆる業界からお仕事のご依頼が殺到して、ほんとうにたまげたし、たいへん使命感を感じたのを覚えています。
ビジョンもプランもない
原田:だから、就職時から今日までつねに、行きたくないほう、行きたくないほうに無理やり行かされてきて、最初は反抗するけれど、しぶしぶ従ったら意外に居心地がよくなる、ということの繰り返し。だから何も誇れることはないんですよ。ビジョンもキャリアプランもない。
瀧本:なかなか波瀾万丈ですね(笑)。入社2年目で総研に行くことになって、それでもやさぐれたままにならなかったのはなぜなのか。次回はそのあたりから、お聞きしたいと思います。
(構成:長山洋子、撮影:風間仁一郎)
※後編は12月8日掲載予定です。
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