堀江貴文氏が語る、「生きるのに必要なこと」 僕が「家もプライドも要らない」と思うワケ
先を考えることに意味ってあるの?
――瀬戸内寂聴さんとの共著本の中で印象的だったのが、「死にたいと思ったことがない」とおっしゃっている箇所でした。たとえば仕事に命やプライドを懸けている人は、それが思いどおりにならないと強烈にへこむことがある。場合によっては死を選ぶことがあると思うのですけど、堀江さんには無縁の発想だと感じました。
何でへこむんでしょうね。よくわからないです。
――自分の基盤が危うくなったと感じ、未来がかすんでくるからじゃないでしょうか。
そもそも、僕は未来なんか見てないですね。今を一生懸命生きるっていうスタンスです。逆に、先を考えることに意味があるのかわからないのです。何かメリットがあるのかというと、別にない気がする。未来のことを人に聞かれたら「先のことを考えたら何かいいことあるんですか?」っていつも聞くんですけど、ないでしょう? なんかあります?
――たとえば30歳で結婚して、40歳で家を買って、50歳で子供が成人して……と長期的視点で人生を思い描くことで、計画的に物事を進められたり、安心感が生まれたり。
それは何なんでしょうね。何かいいことあります? それで。
――堀江さんは計画的な人生はお好きではないですね…。
はい。割と行き当たりばったりで生きています。それが面白いじゃないですか。明日何があるのかわからないから面白いんであって、明日がわかっていたらつまらないでしょう。
世の中は、農耕からシェアへ
――確かに、それには反論はしにくいです。
だから、(未来を見ることは)意外と別に何の意味もない。何でかと言うと、たぶん、そういうのって、道徳とか倫理とか常識にとらわれているからじゃないでしょうか。なんでそうなったのかなって考えたら、たぶん、農耕に縛られていたからかなと思いますね。
――農耕民族の農耕ですか。
そうです。いわゆる長期的視点うんぬんっていうのは、そこが起源なのかなという気はしますけどね。農耕は予定も立てなきゃいけないし、先のことを考えないとできないでしょう。そういうふうにして初めて作物がちゃんと育っていくので。生きていくために必要だったのだと思いますよ。決して楽しいことではないんだけど、生きていくために必要だからやっていた。そのためにいろんな、たとえば一夫一妻制の結婚制度や家っていう概念、家族っていう概念もたぶん必要だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら