なぜ、「働けない若者」が増えたのか 『無業社会 働くことができない若者たちの未来』を読む
いつのまにか浮き世はギスギスし、何かと言えば自己責任、である。お互い様とかお陰様という「生温い」言葉は流行らないらしい。「努力するものが報われる社会を」というスローガンもよく聞いたものだが、その意も「報われない者は努力が足りないのである(だから自己責任ね)」とすり替わりつつあるようだ。
そして「こんな時代に負け組になったりしたら大変だ」という恐れの気持ちは、「いやいや、あいつらと自分は違う。あいつらは努力が足りんのだ。自分は大丈夫」と、恵まれないものや躓いたものを蔑視することで、しばし慰められるのだ。「情けはひとのためならず」って本来どういう意味だったかしら。「甘やかすと相手のためになりません」でしたっけ?
こうした自己責任の文脈で医療、介護、年金、生活保護、労働政策等々が語られる。甘えないでください、頼らないでください。経済的にも不安な世の中である。不安だと人は余裕をなくす。人のことまで構っていられない。ですから皆さん自己責任でお願いします。というスパイラルだ。
同世代の中でも「自己責任論」
さて、働いていない若者の話だ。いい若い者が働いていないとは! 眉を顰めるのは大人ばかりではない。当の若年世代からも「私たちの世代が怠惰だと思われるのは彼らのせいだ。彼らが無業になったのは、私たちとは関係ない話だ」という言説が多く発せられているらしい。自己責任論か、そうでなければ「若いんだからなんとかなるでしょ」という無関心であろう。
だが本当にそうなのか。かれらが「ちょいと心を入れ替えさえすれば」片付く話なのか。そもそも、「われわれ」と「かれら」は、本当に「違う」のだろうか。
本書は若年無業者に対する様々な誤解と構造的問題の見落としを、数多くの統計や個別の事案を積み重ねて、解きほぐしていこうと試みている。
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