博報堂の異色キャラはこうして生まれた 原田曜平×瀧本哲史 対談(前編)

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瀧本:2年目で異動になるのは、どれくらい珍しいことですか。

原田:珍しくはないですけど、ある程度経験を積んだ方がシンクタンクへ行かれたりするので、若くして行くのはちょっと異例ではありました。

その時の所長さんが、もともと有名なコピーライターで、今は退職されて大学教授をされている方なんですが、本当に素敵な方でした。「原田君、いきなり研究テーマなんて見つからないだろうから、会社に来なくてもいいから、街を歩いて自由にテーマを探しておいで」とおっしゃってくれた。

それで僕は大喜びして、たくさん本を読んだり映画を見たりしたけれど、結局テーマが見つからない。その後、数カ月して、「テーマが決まらないなら、若者研究をやりなさい」と言われ、若者研究をやり始めることになりました。あまり明確な理由はなく、ただ、私が若かったので、若者研究ができるだろう、ということだったそうです。

センター街でひたすら若者観察

原田:その方に「とりあえず渋谷でも行って若者を観察してみれば」と言われ、本当に1カ月くらい渋谷のセンター街でボーッと立っていました。そのうち何となく女子高生と顔見知りになって、お茶をおごって話を聞いたりしているうちに、その友達がまた友達を連れてきたりするようになった。僕は当時、センター街でけっこう有名だったんですよ。

瀧本:ナンパする博報堂社員(笑)。

原田:ナンパじゃないです(笑)。それで女子高生の話を大量に聞き始めたら、それがすごく面白い。みんな、なんて言うのかな、僕らが高校生だった頃に比べるとすごく人に気を遣う。対人関係に対して過剰に意識が高くなっている。それまで世代論なんていっさい考えたことがなかったけど、「やっぱり人間って、時代によってある程度変わっていくもので、それをリサーチすることには意味があるかもしれない」と思うようになりました。それで社内レポートを1本書いたら、予想外に評判がよかった。

広告業界のシンクタンクは、基本的にはトレンディーな研究を生業としているケースが多いので、大体1年研究したら、翌年は次のトレンディのテーマに移ることが多いですね。ところが、僕の場合は、なんだかんだとずっと若者研究ばかりやることとなった。

それから数年経ち、社内の規定でどこかに異動しなくてはいけなくなり、たまたま似たような研究部門の方に「中国の若者を研究してみないか」と誘われました。

その方いわく、「中国には『八〇后(バーリンホゥ)』という1980年代生まれの世代がいて、この世代は絶対注目を浴びることになる。日本と中国を比較したら共通項も違いもあるし、今までやってきたことが生きる。だから中国の若者を研究しろ」と。「勘弁してくださいよ、俺、本当に中国に興味ないんです」と、最後までごねたんですけど。とは言え、その方が熱心に言って下さることもあり、やってみようかと。

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