※前編はこちら:博報堂の異色キャラはこうして生まれた
瀧本:原田さんは映画監督になりたかったのに広告代理店に就職して、入社2年目に博報堂生活研究所という予想外の部署に異動になった。そこでくさらなかったのはなぜですか。やはりさっき話されていた上司がよかったんですか。
原田:自分ではまったく気づかなかったものの、純粋にひとつのことを掘り下げる研究者気質だったのかもしれませんね。あとは当時の所長が、社内でも皆が尊敬している人格者で、やんちゃな僕も心から尊敬できる方だったのが大きかったように思います。
ある編集者との出会い
原田:で、若者に関する社内レポートを1冊出した。すると、案外と評判がよくて、いろいろなクライアントに話に来てくれと声をかけられることになった。当時、すでに少子化も大分進展していたし、若者マーケティングなんて需要自体がないと思っていたので、本当に意外でした。そこで、これだけ引きがあるなら、本にしてみたい、と思うようになって、出版社周りをしてみたんです。ところが、まだ「下流社会」という本が出る前で、若者に関するジャンルの本の需要があると思われていなかったし、私が本を書いた経験がなかったこともあって、どの出版社にも断られてしまいました。
困っていたら、その所長さんが、ポプラ社の敏腕編集者さんをご紹介してくれたんです。その方は今でも飲み友達なんですけど、本当に変わった方で、企画書なんてまったく見ないんです。僕の目をじーっと見て、「でさ、君はそれを面白いと思うの、面白くないと思うの?」と詰め寄ってくる。なんか感じ悪い人だなと思ってたら、「君の本音を聞いてるんだよ。本が出したいから、若者が面白いと言っているんじゃなくて、若者と接していて、本当に心の底から面白いと思うかどうか」って言われて。それで改めて素直に考えてみたら、あんなにやさぐれてたのに、こうして本まで書こうとしているし、実際、女子高生は面白い。数秒考えて、「やっぱり面白いと思いますね」と答えたら、「じゃあ、やろう」ということになった。そこから生活が変わって、それまでは毎晩飲み歩いていたのが、毎日早くに退社して、漫画喫茶で朝7時まで原稿を書いて、ちょっと仮眠して会社に行くという生活になりました。
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