ソニー、マッキンゼー、DeNAで学んだこと 森本作也×瀧本哲史 対談(前編)

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 本連載では、『武器としての決断思考』『僕は君たちに武器を配りたい』『君に友だちはいらない』の著者で、エンジェル投資家の瀧本哲史・京都大学客員教授が、各界で新たなロールモデルとなる注目の人物と対談、これからのビジネスパーソンと日本企業の生き方を探ります。今回は、ソニーで中東地域を担当後、スタンフォード、マッキンゼー、シリコンバレー、DeNA、そして起業というキャリアを経てきた森本作也氏に話を聞きます。

ソニーで中東の営業を担当

瀧本:今、グローバル時代と言われていますが、森本さんがいたソニーは昔からグローバル企業で、森本さんも最初からグローバル人材だったわけですよね。

森本:グローバル「好きな」人材でしたね。僕が就職した1980年代の後半は、海外に行くこと自体まだ珍しかったし、大学のときに開発経済という学問を専攻していたので、とりわけ発展途上国に関心がありました。ソニーがユニークだったのは、放送局などが使う業務用の機器をODA(政府開発援助)を使って発展途上国に送ったり、学校をつくったりしている国際協力部という部門があったことです。それでソニーに行きたいと思った。

瀧本:当時からすでに現在の仕事に通じるような、開発経済事業に関心があったのですね。

森本:ソニーに入社後、「途上国に行きたい、行きたい」と言っていたら、国際協力部ではないけれど、放送機器の部門でサウジアラビアに送られました。そのあとはドバイ、その次は中近東全域、20カ国ぐらいの営業を担当しました。

僕はヨルダンにずいぶん長く行っていたのですが、ヨルダンはイスラエルと紛争をしていたため、イスラエルからの水道の水が止まったことがありました。水がなくてみんな苦しんでいるとき、ヨルダンの代理店のおやじと話していたら、国連の車が走っていくのが見えた。それで「あ、国連が来ているんだ。よかったね」と言ったのです。するとそのおやじは「俺たちは乞食じゃねえぞ」。つまり、「平和にさえなれば、自分たちでいくらでもビジネスができる」と。本当はこの人たちはビジネスをしたいのだと気がついた。それからは開発経済や援助などはあまり考えなくなりました。

そうこうしているうちに任期が終わり、日本に帰る日が見えてきた。海外でかなり自由に仕事させてもらっていたのが、そうではなくなるのが嫌だなと思うようになりました。

当時のボスだったイギリス人の影響もあります。彼はイギリスの海軍からたたき上げでのし上がってきた人で、学歴こそなかったけれどすごく頭が切れる。僕はソニーの知識とかネットワークがあるから彼と議論をしても負けないけれど、たぶん、それがなかったら絶対負ける。このままではマズイと思って、留学しようと思い、1996年にスタンフォードのビジネススクールに行きました。

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