「使い捨てられる人生」から抜け出す唯一の方法 なんともクセになる「捨てない生活」とは?

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ってことで今や、どんなに消耗したように見えるモノも、見方を変えれば何かに使えるんじゃないか? と考えることがすっかり習い性になった。

例えばこんな感じである。

例のウエス。最初は鼻をかんだりちょっとした汚れを拭ったりするだけだったんだが、ティッシュと違って丈夫なのでそれだけで捨てるのもどうも勿体無い気がしてきて、鼻を二度三度とかむようになった。

さらにそれでも物足りなくなり、軽く洗った後にシンクや排水溝の入り口をゴシゴシこすってピカピカにしてからようやくゴミ箱へと移行していただいている今日この頃である。

また、原稿書きに使わせていただいているカフェで毎朝、モーニングのワッフルを手が汚れぬようコーヒーフィルターに包んで出してくれるんだが、これもそのまま捨てるのがどうも忍びなくてですね、原稿書きの構成メモを書くのに使ったり、持ち帰ってウエスと同様に鼻をかんだり拭き掃除に使ったりしている。

ま、こんなことしてるのはきっと地球上に私一人という気もするが、もはや何であれ「一つの用途」しか果たさずにものを捨ててしまうことそのものに耐えられないのである。

世の中に「ゴミ」なんてない

これとやや似ておりますが、私いま書を習っておりまして、どうしても大量発生する下手な字が書かれた反故紙も、持ち帰ってやはりウエス代わりに使っている。和紙って丈夫なので、鍋の汚れなどゴシゴシこすっても全然へたらないんですよ。昔の人はきっとそれが当たり前だったんだと思います。

さらにこれはちょっとしたアイデアなんだが、親しい人へのちょっとしたお土産を包む包装紙に使うこともある。これは話の種にもなって、なかなかにすばらしい再利用方法だと自負している。もちろん「持ち帰ったら拭き掃除とかに使えますんで是非!」と申し添えることも忘れない。

仕事先から送られてくる封筒も、前回の写真でご紹介したように大きなものは型紙で切り取って手作り封筒にするほか、普通のサイズの封筒はそのままとっておいて、確定申告に必要なレシートを入れる袋にしている。

……いや今回、書けば書くほどちまちました話になっていきますな。

でもこんなちまちましたことを一つ発見するたびに、私は本当に心の底から「やった!」と、小さなガッツポーズを取らずにはいられない。本当は、世の中に「ゴミ」なんてないんじゃないだろうか? 

役に立たないものをゴミと認定しているのは自分自身である。ボンクラなのはゴミではなく、役に立つ場所を発見できない自分自身なのだ。そんな自分を少しずつ変えていけるのは自分しかいない。私にできること、やらなきゃいけないことはまだまだたくさんあると思うとそれだけで元気が出てくるってもんです。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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