日本の得意とする分野が重要であるような時代においては、日本の製造業は強かった。80年代末までは、そうした時代であった。しかし、そうではない分野の重要性が増したために、日本は敗退してしまった。90年代以降に生じた世界経済と技術の変化は、日本に不利な方向のものだったのだ。
具体的に言えば、日本は大型コンピュータの時代には強かった。しかし、IT革命でPCとインターネットが登場し、さらに新興国が工業化した。日本企業はこのような変化に対応してビジネスモデルを変更することができなかったのである。
これは技術そのものの問題というよりは、その使い方の問題、ないしは企業経営の問題である。これには次の二つの側面がある。
第一は、日本企業が利益に敏感でないことだ。株式の持ち合いがあると、市場の条件変化(特に株価の下落)に鈍感になるのである。『Made in America』が絶賛した日本の企業構造が日本企業のビジネスモデル転換の障害になったのだ。
第二は、日本の大学では経営の専門家を養成していないことだ。工学部は強いが、ビジネススクールはなかった。いわゆる「文科系」の学部はジェネラリストを養成するだけだ。これは東京大学とハーバード大学を比較すると明らかだ。大学院生の数で見てハーバードで大きなウエイトを持つビジネススクールが東大になく、東大で最大の比重を持つ工学系がハーバードには見られない。
経営的要請から必要な技術を選択するという視点がないから、高品質追求というエンジニアの要請を止められなかったのだろう。以上の問題については、後で詳しく述べることにする。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2010年11月20日号)
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