NHKアナから「職人の道」へ彼女のただならぬ決意 「年齢を重ねることを喜べる生き方がしたい」

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師匠の中川忠峰さん(左)の人柄にひかれ、師匠のような生き方・暮らしをしたいと願ったことも職人になった大きな理由だという(写真:梶浦さん提供)

「私が職人は魅力的な仕事だと紹介すると、無責任なことを言うなと批判されることもあります。確かに修行の大変さはあるし、そんなに稼げるわけではありません。でもぜいたくをしなければそれなりに生きていけるし、特に地方なら生活費があまりかかりません」

地方の職人として生きるうえで、プラスに働いているのはインターネットの普及だという。「SNSでネットワークを広げれば、経験の浅い職人でも作品を販売できます。どこで活動していてもお客さんとつながることができるので、チャンスにあふれた時代だと思います」。とはいえ、安定した収入が保証されているわけではないので、まずはほかの仕事をしながら、職人の仕事を軌道に乗せていくのでもいいと考えている。

「一生成長、一生修行」の言葉に救われた

大学で観光学を学んだ経験から「観光に必要なのはその地域の個性。そして個性を作り出すものの一つとして、伝統工芸は地域の宝、未来へ残すべき資源」だという信念がある。国指定の伝統工芸はある程度、守られているが、都道府県指定の伝統工芸品が厳しい状況にあることに危機感を持っている。

「高齢の職人1人しか残っていない、という知られざる伝統工芸は全国各地にあります。ぜひ身近にある伝統工芸に関心を持ち、跡を継ぐ人が一人でも増えてほしい」

細かな彫りの美しさで人々を魅了する根付(写真:梶浦さん提供)

職人として背負う「一生成長、一生修行」の宿命を苦しく感じたこともあった。しかし40代になった今は、その言葉に救われている。「作品を作り続けるプレッシャーもあります。でも、一生成長できる、って考えれば気持ちが楽になる。年齢に関係なく自分のペースで挑戦を続けていけますから」。

年を取っても、傷ついても、ありのままに、大切に。梶浦さんの伝える伝統工芸の価値観は、多くの人が苦しい思いをしている現代社会で、より一層の輝きを放つ。

吉岡 名保恵 フリーライター

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よしおか なおえ / Naoe Yoshioka

1975年和歌山県生まれ。同志社大学を卒業後、和歌山県の地方紙「紀伊民報」で記者として勤務。結婚を機に退職し、国立大学医学部の非常勤職員などを経てフリーに。現在はライターとしてビジネス、教育、ライフスタイルなどを中心に幅広く取材やインタビューを担当。大学時代にグライダー(滑空機)を始め、(公社)日本滑空協会の機関誌で編集長も務めている。

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