取材を通じて心に響いたのは、伝統工芸の職人たちが大切にする「一生現役・一生成長」という考え方。職人自身の生きざまが作品に現れるから、年を重ね、経験を積むことに価値が見出される。そして伝統工芸品そのものも使い込まれたほうが味わい深く、傷さえも美しいと評価される。そのような伝統工芸の世界が、「若さ」に価値が見出されるアナウンサーの仕事とは対極的で、光を見出した気がした。
アナウンサーの仕事は充実していたが、「私の代わりはほかにいくらでもいる」。そう思う現実もあった。一方で、伝統工芸の多くは後継者不足で、唯一無二の技術や文化が存続の危機に直面している。取材を進めるにつれ、途絶えてしまっては代わりがない伝統工芸を「守りたい。守らなければ」という強い思いが芽生えるようになった。
ある職人の涙
忘れられない出来事がある。
放送後、取材のお礼であいさつに行くと、その職人は梶浦さんの手を握り、「ありがとう、初めて自分の仕事が日の目を見た」と涙した。
取材を通じて、たくさんの職人が苦しさを抱えながら、必死に伝統工芸を守り続けていると知った。経済の発展重視、大量生産・大量消費の時代の波にもまれ、伝統工芸の価値は蔑ろにされやすかった。そればかりか「ちゃんと勉強しないと、あの人みたいになってしまうよ」と指を指された職人、華やかな暮らしをする同級生を横目に家業を継いだばかりに苦しい生活をしてきたと嘆く職人もいた。
「その道50年にもなろうという職人が、わずか25歳で、数回しか会っていない私に泣いてお礼を言う。そんなことをさせてしまった今の世の中が悔しくて」、一緒に泣いた。
職人たちが日本の文化の守り手として誇らしく思える社会、もっと職人たちが報われる社会であってほしい。そのためには、もっと伝統工芸を多くの人に知ってもらうことが必要ではないか――。仕事柄、使命感が芽生えたのは自然な流れだった。
しかし梶浦さんは「伝える人」ではなく、「作り手」として伝統工芸の世界に飛び込む決意をする。自身は専門的に美術や工芸を学んだ経験はない。特段、手先が器用とか、物作りが好き、ということでもない。それなのに職人になる覚悟を決めたのは、「自らが後継者にならなければ伝えられないものがある」と実感していたから。
「番組のコーナーは視聴率が良くて、たくさんの方が見てくれました。でも、いくら第三者の私がリポートしても、ほとんどは“わあ、素晴らしいね”で終わってしまう。もし私が職人になり、仕事のこと、作品にまつわる文化や歴史、込めた思いを当事者として伝えられたら説得力が増すと思いました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら