新型コロナウイルス感染症が発生して約2年。世界中がその対策に翻弄され続けているが、決定的な対策がなく、人類にとって実験のような側面がある。それゆえに、各国の対策を見ていると、その国々の性質のようなものがよく現れ、終息後は分析・検証することが望まれる。本稿ではドイツの一昨年の春以降の対策から見いだせる2点の特徴を挙げてみたい。
「ウイルスは民主主義にとって厄介」
1つは、ドイツにおける民主主義のジレンマである。最近のヨーロッパではオミクロン株も含む、感染拡大が報じられおり、ドイツでも感染者数は減少傾向にあるものの、2月末時点で新規感染者数は13万人を超えている。さまざまな対策を講じているが、決め手には欠いている。
2020年の8月には、メルケル首相(当時)が、「ウイルスは民主主義にとって厄介だ」と発言した。意訳すれば、ウイルスは民主主義に対する「試練」「挑戦」といったような意味になるだろうか。日本から見ると、なぜ民主主義が出てくるのかピンときにくいかもしれないが、この試練はコロナがドイツで蔓延しだしたころ、2020年3月に厳格な外出制限を設けたあたりから始まる。
その前に、ドイツの民主主義について簡単に述べたい。ドイツには、当時最も進んだ民主的な憲法といわれたヴァイマル憲法(1919~1945年)がナチスによって合法的に骨抜きにされた歴史がある。言い換えれば、民主主義には完成形がなく、弱点を克服しながら、「生きた民主主義」を作らなければいけないという考えがある。
ドイツでは特に地方でこの生きた民主主義を作ろうという意識が高く、他者と意見交換をしたり、自らの意見を公に向けて表現するといったことも盛んだ。また、こうしたことを可能にする政治教育が、学校教育や文化活動などに組み込まれている。このため、小さな町でもデモや社会運動が活発に行われる。
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