「報道されない中東の真実」とは何か 国枝昌樹氏、「日本の読者は誘導されるがまま」

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くにえだ・まさき●1946年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、外務省入省。在エジプト大使館一等書記官を振り出しに、在イラク大使館、在ヨルダン大使館の参事官、在カメ ルーン特命全権大使などを経て、2006年在シリア特命全権大使に着任。10年退官。『シリア――アサド政権の40年史』ほか著作活動を重ねる。(撮影:今井康一)
2011年3月の民衆蜂起に端を発したシリア内紛は、混迷が続く中、さらにスンニ派過激組織イスラム国への外国軍侵攻で戦火が広がっている。『報道されない中東の真実』の著者、国枝昌樹氏(元在シリア特命全権大使)は、ここに中東アラブ世界の地殻変動の予兆を見る。

──米CIAによればシリアの人口は2010年末2200万から2014年には1800万にまで減少したとか。

2010年まで4年間駐在した当時は、シリアの社会全体は非常に明るかった。父の跡を継ぎ2000年に発足した現バシャール・アサド政権は紛れもない独裁政権です。が、彼自身は、反アサドの欧米や周辺国が作り上げた悪のイメージとは違い、体制内改革を推進していました。閣僚たちには、傲慢を捨て国民とともにあれと折を見て訓示し、治安当局には国民との関係改善を進めさせていました。一部の不満分子には厳しく対処しても、一般市民への態度は先代とは劇的に変化していたんです。

そういう意味でアサド大統領はかなり努力しました。ところが2011年3月に最初の民衆蜂起が発生し、政権転覆をおそれた治安当局は再び牙をむきだした。アサド現政権の10年間の改革は水泡に帰してしまった。

一連の反体制派による内紛を、アサドは外国から押し付けられた戦争だと思っています。国内の反体制派組織は約3000で、大半はいわゆる強盗団ですが、いくつかの勢力は外国から支援を受けている。アサド政権としては、外国が資金・武器・兵站支援を止めさえすれば、1カ月で事態は収まると考えていました。

過激な原理主義勢力がイラクに戻った

──そしてイスラム国の勃興が。

ソ連のアフガニスタン侵攻で、米国から支援を受けたアルカイダなど過激な原理主義勢力がイラクに戻った。シーア派マリキ政権下でスンニ派市民の間に不満が高まると、それに乗じてイスラム国が活動を始めます。彼らは一部をシリア国内に潜伏させ、2011年の民衆蜂起を機についに動きだし、支部のような形で反体制派ヌスラ戦線を発足させました。

ヌスラ戦線は戦闘行動の勇猛さと規律で名を上げ、シリア国内で影響力を拡大させました。イスラム国はそのヌスラ戦線を吸収しようとしましたが、ヌスラ戦線側が拒否。アルカイダはイスラム国にイラクを、シリアはヌスラ戦線に任せると指示します。それを今度はイスラム国が拒否、アルカイダと絶縁します。

2014年1月、反体制派の著名な医者をイスラム国が殺害すると、ヌスラ戦線と他の反体制派が連携しイスラム国との武力衝突が勃発しました。

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