イラク北部から恐ろしい話が伝わってくる。そして、シリアの内戦では虐殺が続いている。これらの事態は、中東で構造的な転換が進行している証しだ。第1次世界大戦からほぼ100年経った現在、敗戦国オスマン帝国の崩壊を受けて形成されたこの地域の国家体制が、揺らいでいるのだ。
現在の中東の地図は、第1次世界大戦に勝利した英国とフランスが線引きした。戦争終結前に両国が協定を結び、中東での勢力範囲を確保した。しかしこの協定は、この地域の歴史、民族的・宗教的伝統や帰属関係、それに現地の人々の意思をまったく無視したものだった。
人工的に引かれた国境線
イラク、シリア、レバノンの国境線は恣意的・人工的に引かれた。この体制が揺らぎ始めている。米国主導のイラク侵攻は、フセインを権力の座から追い払っただけではない。スンニ派による少数支配にも終止符を打った。イラクで多数を占めるシーア派は、抑圧から解放されると、米国が後押しする民主的選挙は国全体にシーア派の覇権的支配を行き渡らせる手段だと考えるようになった。
今日のイラクは、かつてのような一体的なアラブ人の国民国家ではない。北部の「クルド地域政府(KRG)」は、事実上の国家だ。独自の軍隊や国境警備当局を持ち、領域内にある天然資源を(ある程度)管理している。外国政府がKRGの首都エルビルに置いている領事館は、事実上、大使館として機能している。
シリアでは、民主化要求デモがすぐに武力抗争へと堕落した。多数を占めるスンニ派が、アサド一族が率いるアラウィー派の支配に異議を唱えだしたのだ。どうすれば一体的なアラブ人の国民国家として再建できるのか、見えてこない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら