大江アナのお相手、松本大氏のホンネ対談 マネックス証券代表取締役社長CEOの好き嫌い(上)

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松本:いや、とてもパーソナルな事情です。僕には兄貴がいたのですが、兄貴が中3のときに病気で亡くなりました。兄貴は開成中学に行きたかったけれど、受験で落ちた。当時小5だった僕は、急に兄貴が亡くなって、それなら兄貴が行きたかった学校に僕が行ってやろうと思った。それで、開成に入ったのです。開成に行って、やりたいことはあったけれど、夢は全部果てましたね。医者とか物理学者とか。だから、大学はどこでもよかった。親父がたまたま東大の文科3類だったので、じゃあ文科1類を受けてやろうと思ったという、それだけの理由です。

楠木:松本さんを見ていると、体制や強者が嫌いなだけでなく、それに対して正面から挑戦することがとにかく好きなんですよね。そこが僕と違う。野茂選手の場合はメジャーリーグ、ホンダならF1、みんながすごいと思うメジャーなことに挑戦していますね。しかし、強いものが嫌いだという人が挑戦の対象を選ぶ場合は、往々にして「そういうのは関係ないね……」と、メジャーな方向に行かず、マイナーへマイナーへと行く人っているでしょう。僕がわりとそういうタイプなので。若い頃は特にマイナー志向でしたね。強者へのチャレンジというのがまるでない。自分の心地よい場所に引きこもる。

松本:僕はマイナー志向ではないですね。就職は1987年で、当時、日本の大手都市銀行の格付けはトリプルAという時代でした。「大蔵省は世界の為替マーケットを動かしている」などと言われていた時代ですね。その中で金融に行こうと決めたときに、思ったことが2つありました。

ひとつは、自分で自分の人生をコントロールできないのは嫌だということ。僕は、険しい峠の道を車で行くなら、人がハンドルを握る車に乗って越えるのは嫌、絶対に自分で運転したいタイプです。だから金融といっても、日本の銀行は自分には合わないと思っていた。さらに大蔵省の官僚というのも、そもそも行きたくても行けなかったでしょうが、明らかに違うと思っていました。上司との関係の良しあしとか、コネのあるなしとか、そんなことで人生が変わりそうなのが、断固として嫌だったんです。

もうひとつは、どうせ金融に行くなら世界一のところに行きたいと思いました。いろいろ調べると、アメリカに投資銀行というものがあるとわかった。当時、ソロモン・ブラザーズは「キング・オブ・ウォール・ストリート」と呼ばれていて、世界の金融の最先端だと思い、就職を決めました。その判断が合っていたかどうかは別として、自分で帰納法的に考えた結果としての挑戦の対象はメジャー志向なんでしょうね。(次回へ続く)

取材日:2012年2月9日、構成:青木由美子、撮影:梅谷秀司

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楠木 建 一橋ビジネススクール特任教授

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くすのき けん / Ken Kusunoki

1964年東京都生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より一橋ビジネススクール教授。2023年から現職。専攻は競争戦略とイノベーション。著書に『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『絶対悲観主義』(講談社+α新書)のほか、近著に『経営読書記録(表・裏)』(日本経済新聞出版)などがある。

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