しかし、その後はご存じの通り、苦難の連続だった。昨季マンUの監督がモイーズ監督になるや、香川は冷遇され出場機会は激減。今期のファンファール監督になった後も、活躍の機会は少ないまま、ついにマンUを去り、この9月からドルトムントに出戻った。
古巣は温かった。チームメートはもちろん、8万人超のファンが熱狂的に復帰を祝った。すると、どうだ。香川は初戦から大きな成果を出した。前半にアシストで得点を演出したかと思うと、直後にゴールまで記録。チームで最も活躍したマン・オブザ・マッチに選ばれたのだ。
古巣に復帰してここまで歓迎され、しかも成果を出せる選手はスポーツ界でも稀だ。なぜ香川はいきなり結果を出せたのか。古巣に愛されていたからだろうか。確かにそれもあるかもしれないが、実は深いワケがある。
「無理してまで、今の地位を守らない」という選択
1つ目は、逆説的だが「今の地位を無理して守ろうとしない」ことだ。マンUはサッカーの世界で言えば、確かにピカピカの超一流看板だが、香川にとって、新しい機会は、マンU以外にも常に開かれている。それでも香川が「いや、当面はマンUしかない」と看板に固執していれば、結果として今回の出来事はなかった。
これは、「気に入らなければ、あるいは適応できなければすぐに環境を変えろ」と言うことではない。ドルトムントの成功に囚われず、マンUのプレミアリーグに触れて、当たりの強さ、ゲームの組み立て方など、違う環境のサッカーに触れたことで、結果として香川のプレーに幅が出たとの意見も多い。
「僕はユナイテッドでの2年間、何もしていなかったわけではない。そこで学んだことがありました」とは香川の言葉だ。「香川には、2年分の成長と経験が加わった」とはドルトムントのクロップ監督の言葉だ。
ビジネスにおいても、うまくいっている時こそ、他の世界にリスクを取って挑戦してこそ、ビジネスパーソンとして器が広がる。苦労も含めて向き合う中で、新しい技術が磨かれる。逆に、周りから見てピカピカな組織でも、本人がぶら下がったり、居場所を確保しようとして過去の成功に囚われると、皮肉にも徐々に居場所はなくなっていくものだ。
2つ目は「去り方」だ。香川が2012年ドルトムントを去った時に、監督もチームメイトも香川が去るのを心から残念がった。当時のチームメートは「重要な選手。本当に残って欲しい」「移籍なんてダメ」と語り、クロップ監督は、「彼は優れたプレーヤーなんだ。彼が去った時には、大粒の涙が流れたよ」とまで語った。
結局、そこまで惜しまれるためには、周囲との信頼関係を築くのはもちろん、プロの世界である以上、プレーで成果を出し続けるしかない。そのためには、当然1つ1つの仕事で成果を出し続けるための努力をするより方法はない。 1つ1つのプレー、仕事をきちんと成果を出さない人間に、「次のパス」は回ってこない。
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