元寇「蒙古は神風吹く前に撤退決めた」驚きの事実 日本の反撃に貢献した対馬、壱岐での前日譚

守護代のところに行くと不穏な空気
福岡県と対馬の中間地点に位置し、玄界灘に浮かぶ壱岐島。対馬海峡に対馬暖流が流れるため温暖な気候で、夏は涼しく冬は暖かく過ごしやすい。
のどかな緑の山々を眺めながら、宗三郎(注)が口笛を吹いて歩いていると、せっせと働く若い夫婦の姿が見える。壱岐島は、高低差が少なく平坦な地形なので、田畑として活用しやすいことで知られている。
「もう稲刈りの季節か。早いものだな」
文永11(1274)年10月、時は鎌倉時代。宗三郎は、主人である守護代の平景隆のもとへと向かっていた。秋風が優しく頬をなでる。何一つ変わらない、平和な島の一日が今日も始まる。
そんなふうに思っていたが、景隆のところに行くと、何やらみながざわざわしており、不穏な空気が流れている。
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