羽田圭介、貯金した末の将来に期待するのは賢明? 今あえてお金の価値を問い直す作品を書く理由

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――ミニマリストをテーマにした『滅私』は、『Phantom』の姉妹作のような位置づけの作品と伺っています。物を減らして生活をミニマムにしていくことと、株式投資でお金を増やしていくことは対極のように感じますが。

この2つの作品は、発露の仕方は違いますが、根底にあるのはほとんど同じです。何が共通しているかというと、「結局は経済力に心情を左右されてしまっている」という点です。『滅私』の主人公である冴津(さえづ)は株である程度儲けているからこそ、物がなくなっても平気でいられるんですね。いつでも買い直すことができるという安心感があるから、捨てることができるわけです。

実は僕自身も稼げなかった時代からお金が入るようになると、今までだったら買わないような高価なスピーカーや洋服を買うようになりました。ただ、部屋に物が増えていくとそれはそれで落ち着かなくなるので、今度は人に譲ったり、売ったりして手放す方向にシフトしていったんです。

将来的にまた使うかもしれないのに、買った物を簡単に手放せてしまう……。『滅私』はそうした経験から生まれたものでもありました。

羽田圭介(はだ・けいすけ)/1985年生まれ。高校在学中の2003年に「黒冷水」で文藝賞を受賞しデビュー。2015年に「スクラップ・アンド・ビルド」で芥川賞を受賞。主な著作に『メタモルフォシス』『成功者K』『Phantom』など。11月26日にエッセイ集『三十代の初体験』、30日に最新作『滅私』が刊行(撮影:尾形文繁)

――確かに『滅私』と『Phantom』の主人公の根底にあるものは、どこか通じるものがある気がします。

両者とも「自分とお金だけしか信用していない」という点で共通しています。つまり、他者を信頼していないから、人間関係も必要最低限の繋がりしか持たないんです。

物を捨てた先にやりたいことがないという虚無感

――2つの作品に共通して感じたのは、主人公がお金を増やすこと、あるいは物を捨てることが目的になっていて、「その先に何もない」という虚無感でした。

『Phantom』(文藝春秋)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

僕もたまにそういう状態には陥りますが、自分が本当は何をしたいかわからないとか、そもそもやりたいことがないというシンプルな問題を抱えている人は多いですよね。

お金を増やすのも、物を捨てるのも、あくまで自分のやりたいこととか理想を実現させるための“手段”でしかないんですけど、そこがすっぽり抜け落ちているから、手段そのものが目的化してしまっている。それが空虚さを生み出している原因じゃないかと思いますね。

例えば、ミニマリストの人で「物を減らして身軽になればどこへでも引っ越すことができる」と言う人がいますが、引っ越した先でどんな生活を送りたいかよりも、いつでも引っ越すことができる“可能性”のほうを求めているように見えるんです。

たぶん、彼らは本当にそれがやりたいんじゃなくて、いつでも自由に移動できるとか、いつでも引っ越せる可能性が自分にはある、という感覚が欲しいんじゃないかと思うんです。

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