フィリピンで戦争捕虜となった父が英語の原点
安河内:千田先生が英語の達人ということは広く知られていますが、英語に興味を持たれたそもそものきっかけは?
千田:きっかけは父親です。父は戦争捕虜としてフィリピンで捕まり、捕虜収容所に入りました。捕まった日本人の捕虜は全員殺されると思っていたらしい。ところが収容所で行われたのは、殺し合いをしていた敵国兵士同士によるbaseball game、野球の試合だったのです。父はそのことに感動していました。「野球の試合は日本が勝ったんだぞ!」とも言っていました。
父は捕虜収容所内で、通訳をした経験があると言っていました。それで私に「おい潤一、外国語ができるのはすばらしいことだぞ。『芸は身を助く』というのはホントだ。絶対に外国語を習え。まずは英語をやってみろ」と。そんな話を、私が小学校の高学年頃に聞かされ、ずっとどこかに残っていて、学びの根っこになりましたね。だから、「中学に入ったら、英語はやっぱり勉強しよう」と思っていました。
安河内:今は「幼稚園、小学校で英語を教えなきゃならない!」などと、世の中が大騒ぎになっていますけど、千田先生は、お父様から重要性は説かれたものの、中学に入るまでは、英語にまったく触れなかったということですか?
千田:ええ、ゼロの状態でした。
Kissはアメリカの漬け物!?
安河内:じゃあ、This is a pen.を初めて知ったのは?
千田:中1のときです。ただね、英語の環境はある意味ありました。私は青森県の八戸にいたんですが、近くには三沢の米軍基地があった。その基地から米兵が家の近くを通ってよく海水浴に行っていました。
車中で英字新聞を読んだり、女性と口づけしたりする姿などをよく目にしましたね。
安河内:おー、白昼堂々、車内でブチューですか? 千田少年にとっては刺激も大きかったのでは?
千田:ええ、そりゃもう。父に「口づけって何だ?」って聞いたら「それはアメリカの漬け物だ」って言われましたけれども……。
安河内:おっと、お得意のダジャレ、早速ありがとうございます(笑)。
千田:ときどき挟み込んでいきますから、期待してください(笑)。
冗談はさておき、米兵や八戸の港に入ってくる船から降り立った外国人船員を見たり、読み古した英字新聞を見かけたりと、今思えば外国人との接点はごく身近にある環境だったと思いますね。当時は彼らとの生活レベルもまったく違っていましたから、印象に残っています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら