「自分の手柄を人に譲る」人がトクする決定的理由 人生100年時代は善人が報われる「透明化社会」

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「AIは人間性を奪う」というステレオタイプの意見がありますが、僕は、人間性が必要のない部分をAIがカバーすることによって、人間性そのものがより前景化するのではないかと考えています。

総透明化社会では「与える人」が得をする

こういった時代に試されるのは、利他精神でしょう。善意を人にあげるということです。

昔は、上司が部下の手柄を横取りして出世するということがありましたが、ネットの時代になると、誰が奪ったか、誰が与えたかという情報が流れやすくなります。すると与える側、善人のほうが得をする社会になりつつあるとも言えるのです。

人間社会は透明化しつつあります。いままでは、自分には見えないところで何が起きようともまったくあずかり知りませんという世界でした。でもいまは、社内だろうが社外だろうが、フェイスブックを見れば、誰がどこで何をしているか、誰と誰が知り合いかまでが見える時代です。

こうした総透明化社会は、良いことをした人が最後に報われる、逆に言えば、人間の価値を究極に問われる社会でもあるでしょう。

アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーは、『負債論』(以文社)で、物々交換の時代は、単なる互酬経済で、物を贈り合うだけの社会だったと書いています。物を贈り合うのに、「大根を10本上げるから、代わりに肉を1キロくれ」というような清算は必ずしもしなかった。清算はしないけれど、いつか何らかの形で返してくれると期待する。そして、等価にはしない。

つまり、清算してしまうとそこで関係が終わってしまいますが、つねに返し過ぎたり、返し足りなかったりすることによって、人間関係が続いていくという世界です。

僕は3拠点生活をしていますが、そのうちの一つ、福井の漁村にいるときは、そのことを考えています。野菜や魚をくれて、無償で善意を与えてくれる人がとても多いのです。そうなると、「あの時いただいたからお返ししなきゃ」ということになります。だから、もしなにかを頼まれたら「いいですよ」と返事をします。

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