(第21回)自動車輸出を軸とした95年頃からの日本経済


日本車がアメリカ車を圧倒したのはなぜか

この間のアメリカの自動車産業は、80年代から続く苦難の時代から脱却できないでいた。そうなったのは、アメリカの自動車産業が生産性を引き上げられなかったからだと一般に説明されている。

安くなったガソリン価格に安住して小型車への転換を怠り、またハイブリッド車など新しい技術の開発も行わなかった。他方で労働組合が強いため、退職後の健康保険まで面倒を見るような家父長的経営を続けざるを得なかった。それに対して日本の自動車産業は、さまざまな「カイゼン」によって生産性を上げた。このためにアメリカの自動車産業が衰退し、日本の自動車がアメリカ市場を制圧したのだ。一般には、このような説明がなされている。

確かにそうした面もあったのだろう。しかし、それだけではなく、為替レートが重大な影響を持ったことに注意が必要である。円ドルレートは、94年末の1ドル=100円から、97年末の130円まで、円安になった。これによって、日本からアメリカへの輸出の価格競争力は、3割程度上昇したわけだ。それだけではない。アメリカでは物価上昇があるが、日本ではほとんどない。だから、本来は名目レートが円高になるべきなのに、実際には円安になった。したがって、日本からの輸出は著しい価格競争力を獲得したことになる。物価上昇率の差を調整した実質実効レートで見ると、95年末に135・5であったものが、07年末には82・2まで円安になった。したがって、日本の価格競争力は6割以上上昇したことになる。

60年代のアメリカの大学のキャンパスには、フォルクスワーゲンがあふれていた。90年代以降のアメリカでは、それがトヨタ車に変わった。私は04年をカリフォルニアで過ごしたが、道路を走っている車も駐車場にある車も、ほとんどがトヨタ車という状況は、異常としか思えなかった。

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