(第21回)自動車輸出を軸とした95年頃からの日本経済


 第18回で述べたように、アメリカの総輸入額の中での日本の比重は、80年代の半ば以降、傾向的に低下した。これは、中国の工業化に日本が押されたためだ。しかし、中国が生産できるものは繊維、雑貨などの軽工業製品であり、自動車の生産には至らなかった。韓国の自動車産業は離陸したものの、まだ日本の自動車を量的に脅かすまでにはならなかった。これが、家電製品との大きな違いである。

日本の鉱工業生産指数(05年を100とする指数)は、91年頃にピークに達した後、06年頃までは90から100の間を上下するようになり、それまでのような傾向的な上昇は示さなくなった(それゆえ、「失われた15年」と言われるのだ)。しかし、自動車の生産指数は、90年代半ばの80程度から07年には130近くまで、ほぼ傾向的に上昇を続けた。

90年代後半に自動車の輸出が回復した後は、日本経済の主役は自動車産業になったのだ。これは、経団連の人事にも表れている(94年から98年まで豊田章一郎氏が、02年から06年まで奥田碩氏が会長)。

この間の経済政策も、自動車産業のために行われたといってよい。高度成長期の主役が鉄鋼産業であり、経済政策が鉄鋼産業のために行われたことと似ている。鉄鋼業に対する措置が退職給与引当金など税制で行われたのに対して、自動車産業に対する措置は為替政策が中心だ。また、派遣労働の自由化、外国人労働者受け入れのための技能実習制度、FTA(自由貿易協定)なども、自動車産業を意識して行われたと考えることができる。

自動車を軸として日本経済を見るのは、90年代後半以降の日本経済を考える際の重要な視点だろう。

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