芥川龍之介が描いた「超ダークな平安時代」の迫力 「羅生門」と「今昔物語」読み比べてわかったこと

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こうしていわゆる「卑しい者たち」は、グラマラスな日記や物語から注意深く消去され、その結果、現代人が抱く「平安朝」というファンタジーの中にも顔をのぞかせることはない。

では存在すら隠蔽され続け、その日暮らしの生活を余儀なくされていた「普通の人々」の声は、永遠に失われてしまったのだろうか。否、おかげさまで、そんなことはない。宮廷の外に広がっていた、物騒で、生々しい世界の一端を見せてくれる貴重な作品が1つ生き残っている。それは壮大な説話集、『今昔物語集』だ。

日記とは違う『今昔物語』の魅力

収録されている説話のすべてが「今ハ昔」という書き出しから始まっていることを理由に、そのような名称で知られているけれど、正式なタイトルはない。正確な成立過程や執筆された時期も不明で、平安時代の終わりごろに編集されたものだと思われる。

全31巻のうち、現存しているのは28巻。大きく分けて、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3部で構成される。つまり、地理についてごく限られた知識しか持っていなかった当時の日本人からすれば、知られている世界が完全に網羅されている。

スタイルも内容も異なる無数の小さな物語のアンソロジー、印刷技術のない時代に生まれた作品なだけに、途中でばらばらになって断片的にしか残らなかったとしてもおかしくないが、『今昔物語集』は1つのまとまりとして現在までしぶとく生き延びてきたのだ。28巻もわれわれに届けられている奇跡こそが、何よりもその人気ぶりを物語っている。

簾や屏風によって細かく細分化された物語や日記の空間と違って、『今昔物語集』が見せてくれる光景は無限に広がり、いつまでも尽きない。それは本作の最大の特徴であると同時に、最大の魅力であるとも言える。

いわゆる因果応報譚や仏教関連の説話も多く含まれているけれど、ユーモアに富んだ小話や背筋の凍る怪談や切ないラブストリーなど、『今昔物語集』のページの中にはありとあらゆる人間像が生き生きと描き込まれていて、その数々の登場人物たちは3カ国を舞台に目覚ましく飛躍する。私のような文学オタクであれば、その全世界を眺望する誘いをどう断ることができようか。

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