「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」という言葉を知らない人はいないだろう。それはディズニーアニメにもなったグリム童話の『白雪姫』に出てくる魔女の名セリフだ。しかし、自らの美貌に固執するあまり、破滅の道へと突き進んでしまった女王の恐ろしい運命を、そう簡単に嘲笑うことはできない。現に今日も鏡を見ながら美しくありたいと多くの人が願っているのだ。
長い歴史をひもといてみると、人類は美を追求することを片時も忘れていないことが明らかである。どんな貧しい時代であれ、人間は着飾る努力を惜しまず、最先端のファッションや化粧品を求めるのを一度もやめていないことが、それを何よりも物語っている。
徹底的に美を追求したギリシア人
昨今では、美しさの定義をもっとインクルーシブにする動きが広がっているけれど、西洋に関していえば、長らく適用され続けたいわゆる「スタンダード」のルーツは、ギリシア文明にまで遡る。その固定観念は時代を飛び越えて脈々と受け継がれてきている分、かなり深く根付いていると言えよう。そして、影響力抜群のギリシアンビューティーは何がすごいかというと、それはずばり「科学的根拠」に基づいているということだ。
目と目の間の距離、鼻の高さ、顔の長さ……アテナイの貴族たちは漠然とした「美貌」に満足せず、その期待にどうにか応えないといけない芸術家は工夫を凝らし、スリーサイズどころか、身体の各々のパーツの理想的なプロポーションの算出に勤しんだ。
その地道な研究の成果は特にギリシアの彫刻に現れているが、かなりの説得力があると認めなければならない。頭や腕がちょん切られてもなお圧倒的な存在感を放ち、ランウェイを闊歩するスーパーモデルに比べても見劣りしない麗しさを誇る。
平安人もまた、負けず劣らずの美意識を磨くのに明け暮れていたが、ギリシア文明の「美」とは性質を異にする理想をずっと追い求めていた。ギリシア人がもっぱら「身体」に注目し、調和がすべてだと信じて疑わなかったのに対して、平安人は人生トータルコーディネートから美を見出し、ちょっとしたアンバランスこそが大事だと思っていたようだ。
結果、ビーナスはだいたい素っ裸で描かれて、内面的なすばらしさは非の打ちどころのない外見に反映されており、平安の絵巻に登場する美人たちはみんな同じ顔をしていても鮮やかな着物や心にしみる和歌で勝負していた。そして、ギリシア文明の真髄が彫刻に現れているとすれば、平安のエキスは紫式部先生の筆に凝縮され、代々に伝わってきたと言ってもいい。
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