言葉のチョイスからしてそう。「けはい」(2回!)、「色づきわたりつつ」、「不断」、「やうやう」、「絶えせぬ」……「終わり」どころか、新たな「始まり」というイメージが刷り込まれている。
しかも、それはけっして偶然ではない。ここでははっきりと書かれていないが、期待に胸を膨らませて、自然も人間もみんなが待っている、彰子様の出産、藤原家をさらに輝かせる新しい命の誕生を。
土御門邸の佇まいはきっと素晴らしかっただろうけれど、紫式部の手にかかるとまさに絵になる。その生命力みなぎるさまがありありと伝わり、緊張や期待を孕んだ空間が目に浮かぶ。さらに、句読点はわれら現代人がつけているけれど、1文目と2文目は「をかし」と「あはれ」というキーワードで終わっているのも、たまたまではないように感じられる。
平安文化の感受性の豊かさ、美意識の高さを味わうには、この3行だけでも十分とさえ思えてくるのである。
躍動感あふれる女房たちの職場
さて、外の様子を映してから、先生は私たちの手をとって、土御門の扉を開けて中へと案内してくれる。
『紫式部日記』は、よき女房の教育ツールの1つだったからこそ、作者の鋭い視線は一意専心に女たちを追っていく。そのさまざまな描写から、許されることと許されないことがわかるようになっているので、彼女らはきっと必死になって読んでいたことだろう。
一点の曇りもなく真っ白な御前で、たくさんの女房たちの姿形や顔色さえくっきりと顕わにされているのを見渡すと、黒髪だけが際立って素敵な墨絵のように見える。
トイレにまでLEDライトを設置している私たちにとって、平安時代は暗闇の世界として目に映る。
女たちは特に、外出することがほとんどなく、御帳台の後ろに隠れ、身体は着物に包み込んで、顔は扇子で隠して、社会との接点はごくわずかだったと当時の作品から窺える。しかし、『紫式部日記』を読むと、そのイメージが一変する。作者が見せてくれる女房たちの仕事場は躍動感にあふれて、薄暗さなんて微塵とも感じない。
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