さらに、『源氏物語』がその完成版・完熟版だとしたら、基礎編は『紫式部日記』に叩き込まれているので、少しでも平安文化をのぞきたければどちらも必読だ。
道長ご本人様の指名を受けて、人気沸騰中の作家、紫先生は彰子の女房として働くことになるが、『紫式部日記』はその時期の記録に当たる。スタートは1008年の秋、彰子様が家族の期待を一身に背負って、第1子の出産を控えている。そこで、同年代に書かれた女性による日記文学の例はいくつか挙げられるが、『紫式部日記』は女流日記文学において一線を画している。
例えば、「夫は最低、結婚は最悪」というテーマを中心とした『蜻蛉日記』や、「愛人だけど、なにか?」と赤裸々なまでに自分史を綴る『和泉式部日記』などと異なり、プライベートだと思われる部分を交えながらも、『紫式部日記』はあくまでもオフィシャルな記録になっている。
また、紫式部は、中宮や中宮の周りに集まっている女房たちの華やかさレベルを向上すべく雇われていたので、その日記もまたエンターテインメントにとどまらず、素敵なレディーのお手本を見せるのを、主な目的としている。
映画のワンシーンのような出だし!
それを踏まえて、華々しくスタート。
秋の気配が深まるにつれて、土御門邸の様子は言葉で言い尽くせないほど素敵。池のあたりの梢とか、水遣りのほとりの草むらとかは、一面色づいていて、空もぱーっと鮮やかだ。そんな自然に引き立てられて、僧たちの読経の声がなおいっそ心にしみる。だんだん涼しい風のそよめきに、絶えることのない遣水の音が、一晩中読経の声と響きあって聞こえてくる。
つたない超訳をつけるのにためらうほどの美文、なんて素敵な出だし!まるで映画のワンシーンのように、目の前にその美しい景色が生き生きと浮かび上がってくる。赤や黄色に色づく樹木の葉っぱ、緑の草、その上に広がる明るい青空が次第に夕焼けに染まり、読経を唱える僧たちの声が自然の音と響きあい、夜を奏でる。その風景は、今にも誰かが現れて物語を動かしそうな気配に満ちている。
きれいな季節とはいえ、夏の終幕を告げる秋はちょっぴり寂しい時期でもある。日照時間が短くなり、自然は冬に備えて準備を始め、何かと「終わり」が近づいている感じがする。ところが、この紫式部のイントロは、秋らしさを演出しつつも、活気に溢れている。
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