着ている衣服の色合わせ、仕草、その周辺に置かれている洗練された物たち、すべてが注意深くアレンジされており、どこまで本当なのか、どこまで先生の緻密な筆による作り物なのかがわからないが、そのすべてが完璧な「美」の表れなのである。裏を返せば、寝ている時も見られているから気をつけなさいよ、という紫式部の厳しい教えも込められているとも言える。
『紫式部日記』の中では、引用文に似たような描写が多数あり、そこに平安らしい風習が2つも連想されていると考えられる。
1つ目は、「垣間見」。今だったら犯罪になるが、のぞき見は当時の唯一の出会いのきっかけであり、日常的な習慣だった。『源氏物語』においてもそれが盛んに行われているけれど、男女が自由に顔を合わせることができなかったため、殿方が隙間からこっそりと女性の姿を盗み見し、興味を持った場合には、和歌を送り、恋のダンスをスタートさせていたのだ。
『紫式部日記』に収められている数々の垣間見は、作者が同僚の女たちを見ているという設定になっているものの、原理は同じ。よき女房のバイブルだからこそ、いつ、どこ、どのように見られているかを意識して、気持ちを引き締めて美しい演出を試みる、それが何よりも大事とされている。
あの「みっちゃん」孫も登場!
2つ目は「ものあわせ」。「ものあわせ」は平安貴族の遊戯の1つだったけれど、あらかじめ決められたものを持ち出して、優劣によって勝負を争うものだったそうだ。だいたい2つのチームに別れて、遊んでいたらしいが、本作はその遊びをさらに上のレベルに発展させている。日記に描かれている各々のエピソードは中宮彰子とその文化サロンの素晴らしさを語る「絵」なのだ。
そして、紫式部は厳選した「絵」を一個ずつ取り出し、読者に見せながら、「ほら、素敵でしょ?これも素晴らしいでしょ?」と得意げになって、宝石のように輝く、小さな優れものを並べている。それはきっと、ライバルのサロン、定子様に対する挑戦でもあったと考えられる。
ちなみに、引用文に出てくる宰相の君は道長の兄・道綱の娘なのだ。そう、彼女の祖母はあの藤原道綱母、初期日記文学の傑作『蜻蛉日記』を書き残した著名人。美貌も優雅な挙措もきっと祖母から遺伝しているに違いないが、このきれいなカメオは宰相の君の偉大な祖母への1つのオマージュとしても読めるかもしれない。
平安人が思い描いていた「美」は完璧なものでありながらも、一瞬で消えるものでもあった。桜の花びらのように儚く、和歌のように短い。その保存版を書き込んでくれた紫式部先生にいくら感謝してもしきれない。素っ裸のビーナスの如く、腕や頭がちょん切られても古臭く感じることはないだろう。私たちはそのページをめくる度に、はっとさせられ、その世界にずっと魅了されていく。
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