いつもどおり朝のニュースチェックをしていたら、ある見出しがふと目に留まった。瀬戸内寂聴さんが、心不全のため京都市の病院で死去したという。半信半疑で該当リンクをクリックし、記事の中身を確かめたが、それはどうも本当らしい。彼女は99歳だった。
私はもちろんご本人とは一切面識はなく、ただ単に遠くからその華々しい活躍を見つめてきたファンの1人にすぎない。しかし、寂聴さんはもう筆を執ることはないと思うと、無性に悲しみがこみ上げてくる。何度かラジオやテレビ越しで耳にした、相手の心に語りかけるような、静かな声、ウイットに富んだ会話も聴けなくなるのか、としみじみに思う。
携帯の待ち受けは「寂聴さん」
ほかのニュースにさっと目を通して、インターネットのブラウザを閉じる。携帯のホーム画面を埋め尽くしているアプリアイコンの隙間から壁紙がちらりと垣間見て、そこにはまさに寂聴さんの姿がある。赤と黄色の模様をバックに、満面の笑みをたたえる先生のお顔が浮かび上がっているのだ。その画像がお気に入りの1枚で、数年前から待ち受けに使っているけれど、なんとなく優しく見守られているような感じがする。
瀬戸内寂聴さんは、瑞々しくて細やかな筆致で愛、性、老いといったテーマを描き続けて、文学を通してさまざまな女性の声を伝えてきた作家である。
1922年に徳島市で生まれ、東京女子大学在学中に結婚。いったん北京に渡るが、敗戦で帰国してから離婚に踏み込み、学生時代より夢を見ていた執筆活動を本格的に開始。1956年に処女作『痛い靴』を発表して、後に『田村俊子』、『女徳』、『花に問え』などといった名作を次々と出版。
とはいえ、彼女が歩んできた人気作家への道は決して平坦なものではなかった。
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