故郷を離れてからのことをアキラさんはこう振り返る。
「東京では何人もの友人に助けられました。東京の大学に進学して1人暮らしをしていた高校時代の友人や、ネットのゲームで知り合った友人。居候をさせてくれたり、中にはアパートを借りるときの保証人になってくれた人もいました。彼らに迷惑はかけられない。その一心でした」
父親を恨んでいますか? そう尋ねると、アキラさんはやはり少し困ったような笑顔を見せてこう答えた。「年の離れた友達のような人だったんです」。
アキラさんが伝えたいこと
アキラさんは「貧困から抜け出せた経験も取材していただければ」と編集部にメールをくれた。私はありがちな自己責任論を展開されるのではないかと少し警戒していた。しかし、アキラさんは「私は自己責任論者ではありません。自分の頑張りだけでは、どうにもならないことがあると身をもって知っているので。私が貧困から抜け出せたのも運がよかっただけです」と語った。
では、アキラさんは記事を通して何を伝えたいのだろう。「一方で運やタイミング次第で(貧困から)抜け出すことができないわけではない。そのチャンスをつかむために、少しでも備えをしておけばよかったと、私自身が思ったんです」。
例えば大学を中退したときや、キャバクラで働かされたとき、もう少し法律面の知識や何かしらのスキル、いわゆる社会常識などがあれば、また違った選択ができたのではないか。怖くていいなりになるしかなかった面はあったものの、少なくとも今の自分なら行政には相談していたはずだという。
「貧困状態にあるときは心の余裕もありません。コミュニケーション能力などには個人差もあると思います。それでも訪れた運をつかめば何とかなるときもあるんじゃないか。(自分と同じような貧困状態にある人の)背中を押したいというのもちょっと違う。ただ背中に手を当てたい。そう思ったんです」
アキラさんは優しく、ユーモアがあり、聡明だった。一方で自身の将来についてはこんなふうに突き放した。「価値観の合う人がいれば、結婚はするかもしれません。でも、子どもだけは絶対に欲しくありません。家族というものが疎ましい。自分の中に流れるこの血だけは次の世代に残したくありません」。
壮絶な経験を穏やかに話す姿と、自分の血だけは絶対に残さないと言い切る闇を抱えた姿のギャップは、私の中で最後まで埋まらなかった。当たり前かもしれない。取材で話を聞いただけで、すべてを理解することなど土台無理な話なのだ。
ただこれからのアキラさんの人生が実り多いものであることを願う。親ガチャという言い方をするなら、ガチャでアキラさんを引き当てる子どもがいるとすれば、その未来はそう悪いものではないと思うのだ。
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