必死の思いで2年生に進級した直後、今度は大学側から授業料が振り込まれていないと告げられた。口座を管理していた父親が使い込んでいたのだ。アキラさんは大学を中退。故郷に戻ると、今度は給付型の奨学金がもらえる大学を目指して再び受験勉強を始めた。
アキラさんは一貫して父親への恨み言を口にしなかった。それどころか世間話でもするかのような口ぶりで、時に笑みさえ見せる。「大変なことを大変そうに話しても仕方ないからだと思います。父親のことは達観してしまっていて、もう怒るとか、恨むとかじゃないんですよね。大学を中退したときも、またかーという感じでした」。
梁石日の小説『血と骨』を彷彿とさせる父親の話はまだ終わりではない。
キャバクラで殴る蹴るの暴行を受けた
あるとき、アキラさんの前にこわもての男たちが現れ、「お前の父親が借金を踏み倒して逃げたから代わりに働け」と迫られた。このとき父親は継母とも離婚、キャバクラの雇われ店長として働いていた。「20歳そこそこでキャバクラ店長です。同級生はみんな大学生なのに」。冗談めかして言うので、つい私も笑ってしまいそうになる。
1カ月ほど経つと、父親はふらりと戻ってきた。すぐに店側に見つかり、しばらくは親子でキャバクラで働いていたという。
そしてある秋の日。アキラさんは自宅で首を吊って死んでいる父親を見つけた。財布の中身はわずか17円。メモ帳に「アキラ、ごめんな」と書かれていた。「ああ、やっと死んでくれたんだと思いました。これ以上迷惑をかけられることはないんだな、と。悲しいというよりは、安堵したというのが正直な気持ちでした」。
しかし、本当の危機はこの直後に訪れた。キャバクラのオーナーから父親の借金である500万円を返すまで働けと脅されたのだ。アキラさんが断ると、4、5人に囲まれ殴る蹴るの暴行を受けた。閉店後の店のソファーに座らされ、暴行は深夜から朝方まで続いた。最後は果物ナイフで足を刺され、アキラさんは恐怖のあまり首を縦に振る。
幸い足の傷は軽傷で済んだので、腫れ上がった顔のまま警察に駆け込んだ。しかし、担当者からは「捜査はする。でも、その間自分の身は自分で守るように」と言われた。命の危険を感じたアキラさんは、その足で生まれ育った街を離れ、東京へと逃れた。
それからおよそ10年。現在、アキラさんは都内のベンチャー企業のシステムエンジニアとして働いている。年収約400万円の正社員である。
東京に出てからは、飲食店や寮付き派遣で働いた。派遣の社員寮のほか、友人の家やネットカフェ、シェアハウスを転々とした。25歳までには正社員になりたいと考え、就職したのが今の会社である。最初は事務職としての採用。それから独学でプログラミングの知識を身に付け、社内の効率化やコスト削減に貢献した。実績を重ね、システムエンジニアへの職種変えを希望したところ、認められた。会社が順調に成長したこともあり、毎月の手取りも17万円から25万円ほどへと上がったという。
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