「父は生前『智美が生まれてから、ウチは明るくなった』と、うれしそうに話していました。私は通知表に毎回『真面目』と書かれるのに、妹は正反対で『天真爛漫』。だから自由奔放な妹がいつも羨ましかったんです」(晶子さん)
智美さんの言い分は違う。
「私は逆に姉が成績優秀で、父親から通知表をほめられ、絶対的な信頼を得ていることが羨ましかった。小・中・高校と姉だけが入学祝いをもらえて、私はずっともらえない恨みも積もりつもっていました」
どんな兄弟姉妹にもありそうな恨みつらみの数々。
母親を喜ばせようと家族の思い出をたどる作業は、50代になった2人が、母親の看病で持てた「誤解の答え合わせ」(智美さん)の時間になる。亭主関白で怖かった父親に愛されていた記憶を共有することにもつながる。
姉の「今日ここで看取れる」という心境変化
2021年1月中旬、看取り士の清水さんは再び母親の病室にいた。新型コロナ禍による面会禁止で、晶子さん自身も約1年ぶりの特別面会。施設から母の体調が急変したと連絡を受け、清水さんを呼んでいた。
母親はたんが絡むらしく、喉の奥をゴロゴロと鳴らしているのを見て、晶子さんは清水さんに大丈夫かと尋ねた。元看護師の彼女の答えはきっぱりとしていた。
「唾液を飲み込む力が弱っていて、喉の奥にたまっていて音がしますが、見た目ほどおつらくはありません」
だか、やがて下あごが落ちて無呼吸状態になり、最期が近づく前兆ではある。
「どれくらい持ちますか?」
「夜は越えられないと思います」
清水さんの率直な意見を聞いた晶子さんは、午後の出勤を諦めた。
「尋ねたことにだけ的確な回答をしてくださる清水さんに、強い信頼感を覚えました。以降は苦しそうな母の顔さえ、落ち着いて見ることができましたし。すると、母が亡くなることへの恐怖心が消え、なぜか『今日ここで母を看取れるんだ』という、前向きな気持ちになれたんです」
約12年前に痴呆症と診断されて以降、晶子さんは実家の近くに家族と引っ越してきて、2013年に施設に預けるまで約3年間、実家での介護を続けた。施設に預けた後も、長女として母を他人に委ねた罪悪感に一人苦しんできた。
だが、看取り士の支援で、病気をこえて母親との感情のやり取りが生まれ、険悪だった妹との関係も修復できたと晶子さんは語る。
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