胃潰瘍や逆流性食道炎などで入院した母親が、退院して施設に戻る前のことだ。施設側は食事が自力でとれないなら、胃ろうを増設して戻ってきてほしいこと、さらに施設での看取りはできないことを伝えてきた。
姉妹は母親に負担の大きい胃ろうを拒む一方、約6年間過ごした施設で暮らし続けられるようにと、母親に食事をとらせようと懸命だった。でないと施設を追い出されるし、食べないと死んでしまうからだ。
ところが、母親は頑なに食事を拒み続けていて、姉妹は焦っていた。血管が細い母親は、点滴を打てる部位もほぼなかった。
看取り士の清水さんは、そんな姉妹に何度も繰り返した。
「言葉にならないお母さんの気持ちを、ぜひお二人で考えてみていただけませんか。(施設)退所のことはいったん脇において、まずはお母さんが食べたくない理由を少し考えてみませんか?」
ベッドで体を丸める母親は衰弱しているのではなく、清水さんには周囲からの強引な働きかけを、意思をもって拒んでいるように見えていた。
清水さんが帰った後、姉妹は話し合った。そのとき「看取り士さんに助けてもらって、お母さんを看取ってあげようよ」と言う妹の智美さんに、姉の晶子さん「やればいいんじゃない」とそっけなかった。
晶子さんは、清水さんの母親への挨拶には心を動かされたものの、まだ看取り士自体はうさん臭いという印象をぬぐえなかった。智美さんは姉の投げやりな態度に腹が立ち、1週間ほど口をきかなかったという。
母親を喜ばせることで姉妹の確執も消える
智美さんは、母親の死を考えると怖かったと当時を振り返る。
それでも「お母さんの気持ちを考えてみませんか?」 という清水さんの問いかけに、不吉な未来は棚上げし、母親が今生きている時間に集中しようと決めた。
「母が好きだったテレビドラマ『渡鬼(渡る世間は鬼ばかり)』を見せたり、主題歌をスマホで聴かせたりすると、顔が穏やかにほころんだんです。それをきっかけに何に喜ぶのかを、姉とゲーム感覚であれこれ試すようになりました。すると、よく聞き取れないながらも、母が鼻歌を口ずさんだりもして……」
意思の疎通はできなくても感情のやりとりはできる。そう気づくと、家族3人の時間が姉妹にはいとおしいものになっていく。母親の体調も終末期を脱して、いったんは回復に向かった。
同時に、姉妹間のこわばった感情も少しずつ解けていく。
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