アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、『タイムバインド』で子どもとの時間の「埋め合わせ」をする仕事が生まれていることを指摘する。私も著書『なぜ共働きも専業もしんどいのか』で、子どもが幼稚園に通うくらいの年齢になって苦悩する日本の共働き母の声を紹介してきた。
親族による育児
しかし、シンガポールで専業主婦に話を聞くうちに、気づくことがあった。「ご自身が育った環境」を聞いたときに、一部の人たちは当時、共働き家庭で育ったことに、よい思い出を持っていないということだ。
「中国などでは、子どもを田舎の祖父母に育ててもらい、若い夫婦は都会に出稼ぎにでるのが普通」。このような話を聞いたことがないだろうか。日本は「母親がすべて自分の手で」やらないといけないという規範が強すぎるという文脈においては、親族ネットワークが育児を支えてくれる環境はむしろ望ましいようにすら語られる。
実際、現在30~40歳台のシンガポール人の子ども時代を振り返ってもらうと、家族総出でホーカー(屋台)をまわすなど忙しい共働きの両親を持ち、「親族ネットワーク」に育てられた家庭は多い。都市国家なので田舎に預けられてということはないが、「祖母の家で従兄弟たちが皆一緒に育てられた」「同じHDB(公共団地)の別の階に祖父母と、叔母の家族がいて行き来をしていた」など。
そして、このような育てられ方をしたシンガポール人の中には、自分の親族を非難する表現にならないように気を遣いながらも、「自分の両親が自分を育てたような方法で子育てをしたいと思うか」という質問には、「Definitely NOT」と語気を強めて否定する人が珍しくないのだ。
たとえばEsterさん(仮名)は子どものころ、両親が遅くまで仕事をしており、学校から帰って毎日、母親の姉妹にあたる叔母の家に預けられていた。
「叔母の家も決して余裕があったわけではなくて、そこに叔母自身の子ども(Esterさんのいとこ)もいるから、自分の子のほうによい食べ物をあげて、私と弟には大した食べ物がまわってこないとか、自分の家ではないことによる居心地の悪さがあった」
もっと極端に、週末にしか親に会えなかったというケースもある。Joannaさん(仮名)は「祖母の家に住んでいて、週末しか親に会えなかった。学校の長期休みは、おばさんの家だったり、きょうだい3人がバラバラの家に預けられることもあって、家が恋しかった」と話す。
Joannaさんは祖母のことは大好きだったが、中学生になって祖母が亡くなった。しかし、ずっと一緒にいた祖母を失ったショックは大きく、急に両親と住むことになったがギクシャクした。「思春期にメンタル面で課題を抱えることになった。親との関係修復にも非常に時間がかかった」とJoannaさんは話す。
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