「壊れてもいい」甲子園投手にどう反論できるか 甲子園を過度に美化する高校野球の大問題

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しかしスポーツは国民の健康維持、健全な社会環境の維持のために非常に重要だ。『鈴木大地スポ庁長官が語る「高校野球」の未来』で、スポーツ庁の鈴木大地長官(当時)に話を聞いた際、「スポーツは高校時代までやるものではなく、生涯にわたって親しんでもらうものだという観点からすると、小学校、中学校、高校時代に腕やひじなど特定の部位を過度に使って、部活動を終えた時点で二度と高いパフォーマンスが発揮できなくなるような、トレーニングや試合はよくないですね」と語っていた。

日本のスポーツはすでに「一部の体育会系のスポーツ」から「全国民の生涯スポーツ」へと大きく舵を切っているのだが、日本のスポーツ界の大部分はこれを理解していない。

選手に押し寄せるプレッシャー

もう1つは「同調圧力」の問題だ。元巨人、ダイエー選手で、沖縄水産高校時代、甲子園準優勝投手になった大野倫氏は、甲子園でひじを骨折して投手を断念するに至ったことについて次のように語った。

「沖縄水産の門をたたいたときは、"プロ野球選手になりたい"というのが一番で、高校野球はその過程だと思っていました。でも、甲子園常連校の一日一日、一瞬一瞬が勝負という環境に田舎の中学生が放り込まれて、"甲子園に行くというのはこういうことなんだ"と痛感してしまった。そこからは毎日毎日が勝負で、その先を見据えることができなくなったんです。プロの話は棚上げして、"どう勝つか"ということしか考えられなくなった」

画像はイメージ(写真:筆者撮影)

東京大学硬式野球部の選手の中には「卒業すればビジネスや学問の世界に進む。野球は大学生活までだから、少々無理をしてもいいパフォーマンスをしたい」という選手もいる。

彼らの場合、将来設計が明確にあって、そこから逆算して「選手生活」を考えている。誰からも強要されることなく「野球は大学までで終わり」と割り切っている。筆者は「生涯スポーツ」の観点から、それでも問題なしとはしないが、彼らの判断は冷静なものだとは言えよう。

しかし自身で判断がつきかねる高校生の場合、周囲の期待に応えるために心ならずも「高校で野球をやめるから」と言ってしまう可能性は大いにあるだろう。

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