筆者の方は「街中で困っている人に声をかけ、駅の階段でベビーカーを運ぼうとしているママがいたら手を貸すといったことが自然にできるようになった」としたうえで、「もうちょっと気軽に、誰もが助けたり、助けられたり、できないものだろうか」と問いかけていたのです。
私は非常に共感したわけですが、意外にもコメント欄が反対意見であふれかえっていたのに驚かされました。主な意見は、次のようなものでした。
②助けてもらって当たり前、礼も言わないという態度が嫌だ。
③拒絶されたり、嫌がられたりするケースが多い。
④声をかけたら、不審がられるのではないかと気を遣ってしまう。
⑤そもそも困るのなら、電車に乗るべきではない。
⑥だっこひもを使うなど、自分で対処すべき。
確かに、助けられる立場の人の中には、「知らない人から声をかけられるのが嫌だ」という人も一部にはいるようです。
「役に立ちたい」思いが「苦情」に転じる現実
以前、私は取材の中で、ある60代の男性からこんな話を聞きました。
「教師という仕事にやりがいを感じていたが、定年退職後、虚しさと孤独感を覚えていた。同じマンションに障がいをもった子どもの母親がいて、いつもひとりで車いすを押し、大変そうだったので、『私は元教師で、障害をもった子どもの教育にも携わった経験もあるので、何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね』と声をかけた。するとマンションの管理組合から、『知らない人には話しかけないでほしい』と通達がきた」というのです。
「人の役に立てることはないか」と勇気を振り絞って声をかけただけに、不審者のような扱われ方に心底、絶望していました。
実際、お年寄りに席を譲ろうとしたら、「拒絶された」「怒られた」などという話もよく聞きます。
何しろ「自己責任」と「迷惑」の国。「人様に迷惑をかけてはいけない」「自分で責任を取れ」「誰かに頼るな」ということを刷り込まれ、人の厚意を素直に受け取ることができない人も少なくないようです。
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