人生の半分を費やす仕事が幸せでなくていいのか?
学生時代に、そこそこの生活ができて友人と遊んでいられたら幸せ、と考えている方もいると思いますが、社会に出て、そこそこの生活をしようと思えば、学生と違って親や社会の庇護の下から離れるわけですから、当然、仕事をせざるをえません。
人は他人と比べたがる生き物ですから、学生時代に同じレベルだと思っていた友人たちの生活水準や価値観が異なってくると、自分が置いていかれた感が募り、ストレスが生じ、やがて疎遠になったりするというパターンがあったりします。何より、1日の半分程度を仕事に費やすわけですから、その時間が幸せでないと、人生の半分程度が幸せでない時間ということになります。
仕事を頑張らずにギリギリの生活で、趣味や遊びをそこそこ楽しめばよい、という考えも否定はしません。しかし、1日の大半でストレスを抱えるでしょうし、自分や家族の病気など突発的な事項に対応しうる選択肢が限られることでまたストレスが増える、という意味で、一気に幸せでなくなる可能性もあります。
このように、「自分を取り巻く環境」が必然的に変化するうえに、自分が幸せか否かを判断する対象が広がるので、「現状に満足」という考え方は、環境変化への対応力に劣るという意味で気をつけるべきであり、幸せか否かはその時々だけでなく、長期的に考えるべき、というのが私の考えです。
著書『非学歴エリート』に、「若いうちは目先の給料がよいという基準ではなく、将来につながる自分の能力を磨ける場所という基準で選べ。なぜならばちょっとやそっとのおカネは自分を守る術にならないが、能力や経験は将来、自分を助けるセーフティーネットになりうる」「ワークライフバランスは長期で考える」といった趣旨のことを書きましたが、これも目先や短期的な幸せではなく、長期の人生の幸せを考えてのことです。
30代中頃までは、とにかく人生における仕事の優先順位を上げて、その後の人生の基盤を築く。それ以降は、徐々に人間性を広げるような趣味などにも目配せを始める。その結果、幸せな人生を築く。そういった考え方です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら