コロナと原発、日本の「危機管理」に通じる弱点 「小さな安心」を優先し「大きな安全」を犠牲に

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ただ、対外的な発信という点では原発事故、新型コロナ対応でもまったくと言ってよいほど不十分であった。これにより外国での誤解(例えばチェルノブイリのように情報を隠している、五輪を開催したいために感染者を少なく見せている、など)が放置され、その誤解がさらなる誤解を生むという悪循環が見られた。

日本の危機管理

本稿では、民間事故調とコロナ民間臨調の報告書で取り上げた、日本の危機管理に関するいくつかの特徴を取り出したが、ここから言えることは、リスクから目をそらし、危機管理ガバナンスに対する「備え」が欠けているため、平時の法制度や手順で危機対応しているという問題である。

そのため、規制機関である原子力安全・保安院や厚労省は危機においても規制者としての立場から離れられず、各部局が局地戦を戦うだけで総力戦を戦えなかった。

日本の危機管理ガバナンスに欠けているのは、危機時に最悪のシナリオを想定し、それに備えて法制度を整備し、訓練を重ねて対処の手順を確認し、それでも想定を超える事象に対して政治的なリーダーシップを発揮して解決するという覚悟である。これは原発事故において「究極の問いかけ」、すなわち原発事故が止められなくなったとき、命を懸けて原子炉をコンクリート詰めにする組織が定められていないことにも現れている。

こうした日本の危機管理ガバナンスの弱さは、「小さな安心(immediate comfort)」を優先して、「大きな安全(public safety)」を犠牲にするというパターンによるものだと考えている。日々の生活を大事にし、安心して過ごしたいというのは人間の性である。

しかし、そのために危機が起こることを想定せず、「事故は起こらない」「感染症は水際で食い止められる」という神話に依存し、実際に危機が起きたときには何の備えもなく慌てふためくことになることは、国家のガバナンスとしてあってはならないことである。つねに危機が起こりうることを想定し、そのための備えを欠かさず、それでも危機が起きないように不断の努力をすることこそ、日本の危機管理に求められていることなのである。

(鈴木一人/東京大学公共政策大学院教授、アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員)

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『地経学ブリーフィング』は、国際文化会館(IHJ)とアジア・パシフィック・イニシアティブ(API)が統合して設立された「地経学研究所(IOG)」に所属する研究者を中心に、IOGで進める研究の成果を踏まえ、国家の地政学的目的を実現するための経済的側面に焦点を当てつつ、グローバルな動向や地経学的リスク、その背景にある技術や産業構造などを分析し、日本の国益と戦略に資する議論や見解を配信していきます。

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