この取引は円を売ってドルを買うのだから、円安をもたらす。「名目で円高にならない」ことを期待して行う取引が、実際に円安を引き起こすのだ。つまり、期待が自己実現する。これは「地価上昇を期待して行う土地投機が実際に地価を上昇させる」のと同じであり、バブルが増殖してゆく場合の共通のメカニズムである。ここでは「円高にならない」のがバブルなのである。
次のように言ってもよい。日本からアメリカへの輸出が増えるので、円に対する需要が増えて、円高になる。しかし、円キャリー取引が生じるとドルに対する需要が増えるので、打ち消されて円高が起こらない。日本からの輸出と円キャリー取引は、「名目為替レートが円高にならない」という同じ理由によって促進される。その意味で、これらは裏腹の関係にあるのだ。
円キャリーでアメリカに持ち込まれた資金は、何に投資されたか。利回りの高い投資対象であるのは間違いない。それはサブプライムモーゲッジの証券化商品であった可能性が強い。こうして、モーゲッジ貸し出しに資金が供給されることになる。そして、モーゲッジとして貸し出された資金の一部が、リファイナンスを通じて自動車に回る。
これで図式が完結したわけだ。まとめれば、次のとおりだ。
(1)日本からの自動車輸出が異常に増える。(2)日本の貿易黒字が円キャリーでアメリカに持ち込まれる。(3)それが住宅ローンの原資となり、一部が自動車の購入に使われる。
これらが三つ組み合わさったために、「円高という犬が吠えなかった」のである。
上で述べた(1)、(2)、(3)は、個別では成立しにくい不自然なものだ。しかし、三つが組み合わさると、互いが互いを助けて、成立してしまう。ちょうど、石で造ったアーチ橋のようなものだ。ただし、石を一つでも外すと、すべてが崩れる。
(3)が成立したのは住宅価格が上昇していたからだ。住宅価格の上昇が止まると、(3)という石が外れる。そうするとすべてが崩れてしまうのである。そして、そのとおりのことが実際に生じたのだ。
【関連データへのリンク】
・為替レート
・日本消費者物価
・アメリカ消費者物価
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。
(週刊東洋経済2010年4月3日号 野口氏の写真:今井康一)
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