桐野夏生が「日没」に記す、社会に充ち満ちる怪異 「女性と共に違和感も腹立ちも作品に表したい」
着火する言論
白い手袋を嵌(は)めた運転手が優雅にドアを開け、濃紺の車から琥珀色の髪をした女性が降り立った。「綺麗な外国のひとだなあ。この会社に何のご用だろう」とぼんやり眺めていたら、「キリノ先生だ! いらっしゃった!」と、周囲の編集者たちがバタバタ走って行き、はっと我に返る。
自動ドアが開き、風が流れた。女性はゆっくりと歩み入ってきた。その一見国籍不明な美しいひとこそ、『顔に降りかかる雨』や『OUT』、『柔らかな頬』や『グロテスク』や『メタボラ』や『東京島』で、あの惨殺と解体と、繰り返す異常な性と狂気と、抑圧と崩壊と嘆きと叫びを書いた小説家、桐野夏生だったのだ。
小説の中に生き、小説のために生きている作家は、作品世界をそのまま身に纏っているかのようだ。桐野夏生が座る空間は、それすら既に物語の中のようで、現実離れしていた。
コロナ禍でお互いの監視を強め、疫病対策がいつの間にかイデオロギーの代理戦争とすり替えられる現代。桐野夏生が新作『日没』で描いた近未来の言論弾圧は、現代のウェブジャーナリズムに対するネット炎上の中にも既視感があると伝えると、桐野はエキゾチックな大きな瞳をさらに大きく見開いた。「そうなんですね、ここ(ウェブメディア)でも同じことが起きているんですね?」。
「報道やジャーナリズムにおいても、読者というよりも、ネット的な何かわからない、そして目に見えないものが襲って来るわけですね? 燃えるものや揚げ足取りができるものを、みんながずっと探しているのですね? それは炎上ですか? どうやって炎上と戦い、炎上を避けるんですか?」。
好奇心が刺激されたのだろうか、途端に攻守が逆転する。作家による逆取材ともいうべき、インタビュアーへの質問攻勢が始まった。
新宿歌舞伎町を舞台に女性ハードボイルドものを確立したといわれる90年代の「ミロシリーズ」や『OUT』『柔らかな頬』に始まり、2000年代の代表作『グロテスク』『メタボラ』など、少し先の社会で深刻化する問題をまるで予言したかのような数多(あまた)の作品で知られる桐野夏生は、しばしば「社会派」と呼ばれる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら