桐野夏生が「日没」に記す、社会に充ち満ちる怪異 「女性と共に違和感も腹立ちも作品に表したい」
そもそも社会へ向けて作品を発表する作家たるもの、みな「社会派」ではないのかというもっともな指摘は傍らに置くとして、桐野は社会に流れ来る匂いを際立って敏感に嗅ぎ取り、浮遊する破片を掬(すく)い取り、社会と一緒に生きて創作し、その数々の作品を直木賞に始まる各文学賞を総なめにする形で評価されてきた作家だ。2015年には紫綬褒章も授与されている。
その桐野が、新作『日没』(岩波書店)で、近未来の国家権力と”世論”による表現の自由に対する侵害、言論弾圧を描いた。現代のほんの数センチ先、今にも起こりそうな予感をはらむ「ディストピア小説、新たな収容所小説」(岩波書店『思想』11月号・沼野充義「思想の言葉」)へ、各界から称賛が集まる。
『日没』の中に登場する国家の療養所の収容者はみな作家で、その作品世界に出てくる表現を「不適切である」として言葉の揚げ足を取られ、人格や思考を否定され、恭順や転向を求められ、自死を選ぶ者も出る。作家の表現物に対してサディスティックに正しさを要求してくる社会や政権にどう対抗するかという話だ。
「作家の私としては、メディアでさえも、自分たちを取り囲んで攻めてくる敵対者のようなイメージがあったんです。もちろん千差万別ですが、最近、政権に迎合し、忖度しているメディアが多いですから。でも、特にウェブメディアは、炎上によって発信することに抑圧を受け、息苦しい目に遭っているということなんですね。同じ思いを持ってくださっている。というよりも、私たちより最前線にいる。それは衝撃です。ちょっと認識を新たにしました」
「危ういテーマはいい顔をしない」
小説の世界にも言論弾圧のような息苦しさが既にあるのか、との問いに、桐野は「まだそれほどは感じていない」と答えた。
「さすがに、こういう具合に『日没』のようなものも書けるわけだし、出版界もみんな頑張ってはいますが、何となく自粛ムードを感じることはあります。危ういテーマは、いい顔をしない。ただ小説は、どんなに薄いものでも読み終えるのに3、4時間かかるうえに、文脈も読まなければいけないし、想像力も使うから、時間がかかる。ネット記事のように反射的に反応が返ってくるものとは違いますから、即炎上のような被害をこうむっているわけではないと思います。その分、心に長く残って影響を残す、という意味で、これから弾圧のような事態になってゆくかもしれません。作家の弾圧は”古典的”ですが、ネット空間でのジャーナリズムや誰かの発言が、瞬間的に着火するという現象は、非常に”現代的”な話だと思います」
そういった感情的な炎上やフェイクな情報操作などの悪意を相手に、ファクトを武器に戦おうとするジャーナリズムでも、身動きを取りづらくなっている側面はある。どれだけシビアにファクトの精度を上げ、固めようとも、”多勢の支持”が評価基準となりがちなネット社会では、オルタナファクトやポスト・トゥルースなど、”ファクトは作れてしまう”ことを現代の私たちは知っているからだ。
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