桐野夏生が「日没」に記す、社会に充ち満ちる怪異 「女性と共に違和感も腹立ちも作品に表したい」

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桐野夏生(きりの・なつお) 1951年生まれ。93年「顔に降りかかる雨」で江戸川乱歩賞受賞。99年『柔らかな頬』(講談社)で直木賞、2003年『グロテスク』(文藝春秋)で泉鏡花文学賞、04年『残虐記』(新潮社)で柴田錬三郎賞、05年『魂萌え! 』(毎日新聞社)で婦人公論文芸賞、08年『東京島』(新潮社)で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』(KADOKAWA)で紫式部文学賞、『ナニカアル』(新潮社)で10年、11年に島清恋愛文学賞と読売文学賞の二賞を受賞。1998年に日本推理作家協会賞を受賞した『OUT』(講談社)で、2004年エドガー賞(Mystery Writers of America主催)の候補となった。2015年、紫綬褒章を受章(撮影:今井 康一)

「『これがファクトである』というのが、伝えようとしても伝わりにくい世の中になっていますね。例えば、新聞社は社としての意見を表明しづらくなっていて、有識者にオピニオンを聞いて代弁させ、両論併記で『こういう意見もある、こういう意見もある、あなたはどう思いますか?』とやっている。すると、オピニオンを求められて発言した人たちは人身御供(ひとみごくう)です。叩かれるために、意見を言わせられているようなものだから。『それはずるくないですか?』と新聞社の人に言ったら『おっしゃるとおりです』なんて言われたけど、やっぱりメディアの方が勇敢に戦ってもらわないといけない、と思います」

「もともとネットは卑怯者の巣窟だと思っている」

ネットの悪意について、桐野は「もともとネットは、匿名の卑怯者の巣窟だと思っているから、SNSも見るだけでほとんどやらない。ネットには背を向けている」という。

「ネットは特にミソジニーの傾向が強く、女性が意見を言うだけで、謂われのない悪意を持たれることがある。私は絶対に評判が悪いに決まっているから、醜いものは見ないようにしています。ネットの出始めの頃から、噂や悪意のあるまとめサイトを見ている人とは、距離を置いていました。悪意が悪意を呼んで、他人のことでも正視に堪えないし、気分が滅入る。だから、自分の創作に影響を受けないように自分を守っているという感じかな」

「震災後ですが、文芸誌に、『ネット上の匿名の発言が放置されることで、世の中が変わるだろう』と寄稿したことがあります。そのとおりになったなと思います。誰もが炎上を恐れて萎縮し、当たり障りのないことや正論しか言わなくなる。そこでメディアは意見のある人に代弁させて、何とか両論併記にしてバランスを取ろうとするけれど、対論にもならないような、ただのいちゃもんや感情論も片一方にはある。それでも両論である、とするがゆえに、そのいちゃもんが堂々と世に出ていってしまうわけです。そのような動きは、やがて私たちのような小説家の表現物に対しても影響を持つだろう、と思っています。それが『日没』の骨子です」

「ネットは卑怯者の巣窟」と考えるようになったきっかけを聞くと、桐野は『OUT』と実際の事件を混同したネット評を読んだ件を挙げた。その評は、桐野の『OUT』はオリジナルではない、なぜなら基となったそっくりな事件があったからだ、と時系列を誤認した、戯言のようなものだったという。

「バカバカしいくらいの事実誤認。ウィキペディアにも一度、私がある作家さんの子どもを産み、それが歌手の男の人だ、なんて、めちゃくちゃなでたらめが掲載されていた。皇室についての発言なんかも、私の発言じゃないものをそうだと書かれたり。弁護士に相談したけれど、正す手段もないと言われたので、これが法治国家かと呆れました。誰かが削除したみたいですけれど、セクハラと嘘だらけのウィキペディアなんて見るのも嫌ですね」

次ページプライバシーの侵害にも相当嫌気が差している
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