「今年プロゴルファー誕生100年」の奥深い歴史 基礎を駆け足で作り上げた福井覚治の功績

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100年前の日本は、今と社会状況が似ている。1918年に流行が始まった「スペイン風邪」が世界的な「パンデミック」を引き起こした。

東京都健康安全研究センターのHPによると、患者数は全世界で約6億人、死者は2000万~4000万人とされる。日本にも上陸し、1918年から1920年にかけて患者数は2300万人に上り、38万人が亡くなった。現在猛威を振るう新型コロナウイルスとは、数字のうえでは比較にならないほどの惨事になった。そんな最中に福井はプロゴルファーになった。

1904年、貿易商ウィリアム・ジョン・ロビンソンが兵庫県、現在の神戸市東灘区に日本で2番目の横屋ゴルフ・アソシエーション(横屋GA)を造る。ちなみに1番目は神戸ゴルフ倶楽部で1901年に4ホール、1903年に9ホールで正式に発足している

横屋GAの建設には福井家が関わり、家屋を今でいうところのクラブハウスとして提供していたこともあり、少年期の福井はロビンソンのキャディーを務め、ゴルフを覚えた。キャディーとして月5円もらっていたといい、当時巡査(警察官)が月8円だったのでいい収入だった、と後述する雑誌に書き残している。

舞子CCのコース設計に携わる

横屋GAの閉鎖に伴い、曲折の末に代替地として舞子CCが1920年に開場する。福井はコース設計にも携わり、ここでプロとして採用された。また、スタート時間や芝草などゴルフ場全般の管理を行うキャディーマスターという職も兼任。メンバーへのレッスンも行うようになった。今も「プロゴルファーのお仕事」とされる分野を1人で引き受けていた形だ。

日本で初めての本格的なゴルフ雑誌の編集発行人も務めている。

1922年に創刊された『GOLF DOM』の表紙(筆者撮影)

前身の『阪神ゴルフ』という雑誌を引き継ぎ、福井覚次郎の名前で1922年に『GOLF DOM(ゴルフドム)』という全国雑誌を創刊している。

日本ゴルフ協会(JGA)の資料室にある同誌を閲覧した。100年前のゴルフ界がその雑誌から読み取れる。福井の仕事同様に、現在のゴルフ界につながる出来事が1920~30年代に始まっている。

福井は翌年まで発行人を務めているのだが、創刊号から現在のゴルフ雑誌と同じく技術レッスンとゴルフ場紹介、ゴルフ用具の解析、エチケット・マナー、大会の記録などを特集している。

短期間でゴルフ雑誌の原型を作り上げた。記事を少し見ていきたい。

「グリップの仕方」「スライスする人はどうするか」「パッティングの理論」といったレッスンは、100年前のゴルファーも現在のゴルファーと同じ悩みを抱えていたのだろう。海外の有名選手のスイング連続写真も豊富に使い、子供のころに外国人のスイングを見てゴルフを覚えた福井の、プロゴルファーとしての伝え方を見てとれる。

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