「今年プロゴルファー誕生100年」の奥深い歴史 基礎を駆け足で作り上げた福井覚治の功績

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雑誌をめくっていくと「あのころにもう今と同じような記事を書いていたのか」と思い、「100年前からゴルフ業界は進歩していないんじゃないか」と変わってくる。

確かにクラブやボールなどは「飛ぶ」「方向性」を追求して、当時のものとは格段な性能の違いがあるのは確かなのだが、100年前も今も100以上のスコアの人もいるし、70台で回る人もいる。道具が進歩したからといってパー72のコースを36で回ったという話は聞かない。それがゴルフの良さでもある。

広告が面白かったのでみていると、1930年代に最新の国産ボールが1ダース10~12円、海外製品のドライバーは45円、アイアンはスチールシャフトが1本30円、ヒッコリーシャフトが1本26円などと載っている。かなり高価だった。

三宮の倉庫で30分2円のレッスン

話を戻そう。福井はゴルフの普及のために、日本で初めてインドアの練習場をつくった。

雑誌『GOLF DOM』の奥付には教習所の案内も掲載されている(筆者撮影)

雑誌の奥付に広告が掲載されている。神戸市三宮の倉庫を使った「福井教習所」で、30分2円でレッスンを行っていた。ゴルフクラブの製作、修理も始めている。

福井は後進の育成にも力を入れていた。日本最初のプロの大会は日本プロゴルフ選手権で1926年に第1回が行われた。福井も出場したが、弟子の宮本留吉にプレーオフで敗れた。一方、同年に始まった関西オープンでは弟子たちを破って優勝している。ともに、今でも続く大会だ。

福井は1930年に37歳の若さで急逝した。プロとしては実働8年だったので、歴史の中に埋没してきたかもしれないが「プロゴルファーは何をするか」を示すために、考えられるあらゆることを始め、プロゴルファーの基礎を駆け足で作り上げた。功績をたたえて、日本プロゴルフ殿堂で顕彰、殿堂入りしている。

技術や用具の進歩、多くのゴルフ場の建設などがあって、現在に至っている。プロゴルファーが誕生して100年の2020年、コロナ禍もあって多くのトーナメントが中止に追い込まれ、ゴルフ場運営の方法も変わるなど、ゴルフ界は転換を迫られている。これからを考えるのに、歴史の中にヒントがあるかもしれない。(敬称略)

赤坂 厚 スポーツライター

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あかさか あつし / Atsushi Akasaka

1982年日刊スポーツ新聞社に入社し、同年からゴルフを担当。AON全盛期、岡本綾子のアメリカ女子ツアーなどを取材。カルガリー冬季五輪、プロ野球巨人、バルセロナ五輪、大相撲などを担当後、社会部でオウム事件などを取材。文化社会部、スポーツ部、東北支社でデスク、2012年に同新聞社を退社。著書に『ゴルフが消える日 至高のスポーツは「贅沢」「接待」から脱却できるか』(中央公論新社)。

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