「実母の暴挙」に苦しんだ48歳女性が見た死の淵 2度の離婚、子育て、介護のストレスでうつ病に

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「父はいつも『病気が悪化するからお母さんに心配をかけるな』と言い、私が少しでも母に口答えをしたり反抗的な態度をとると、母を擁護し、母と一緒になって私を責め続けるようになりました。母は昔から、父がいるところでは私を罵倒しませんでした。だから父は、私が母に対してひどいことを言って、母を苦しめていると思っていたのです」

田中さんは何度か父親に話を聞いてもらおうとしたが、「親をそんなふうに言うな!」と怒られるため、いつしか理解してもらおうと努力するのをやめてしまう。

そして26歳になると、学生時代に知り合い、交際を続けてきた相手と結婚。2人の男の子に恵まれた。

2度の離婚とダブルケア

夫も義母も、田中さんの母親の介護には理解があり、夏休みや冬休み期間に長く帰省することを快く受け入れてくれた。

田中さんは、幼い息子たちを連れて帰省すると、日中の数時間はベビーシッターを利用して、母親の介護に集中。この頃母親は、自力ではほとんど動けなくなっており、食事だけでなく、トイレや入浴の介助も必要になっていた。入浴介助は父親が中心にやっていたが、デイサービスに通うようになってからは、デイサービスにお願いするようになった。

しかし、平穏は長くは続かなかった。

夫が浮気と借金を繰り返し、とうとう田中さんは離婚を決意する。長男が6歳、次男が2歳のときだった。

田中さんは実家の向かいに引っ越し、保育士として働きながら、シングルマザーのダブルケアラーとして奮闘する日々が続いた。

それから約5年後、もともと介護の仕事を志望していた田中さんは、介護施設や障害者施設でヘルパーとして経験を積んでいるときに、職場の上司と再婚。

子どもたちがよく懐いたことから再婚に踏み切った田中さんだったが、同居がスタートした途端、長男に対するネグレクトや田中さんに対するモラルハラスメントが始まる。

2人目の夫は介護職にもかかわらず、田中さんが母親を介護することに対しての理解はまったくなかった。仕事や介護で帰宅が遅れると、「俺のことはどうでもいいんだな」などといつまでもネチネチと嫌味を言い、付き合っていた頃とは別人のようになる。

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