
母親の介護によるストレスでうつ病になった女性。育児も重なり「ダブルケア」だった(写真:Graphs/PIXTA)
子育てと介護が同時期に発生する状態を「ダブルケア」という。ダブルケアについて調べていると、子育てと介護の負担が、親族の中の1人に集中しているケースが散見される。
なぜそのような偏りが起きるのだろう。
連載第11回は、高校2年生のときに母親が若年性パーキンソン病と診断されて以降、32年間にわたって母親の介護をし続け、途中、2度の結婚と離婚、子育てを経験してきた女性の事例から、ダブルケアを乗り越えるヒントを探ってみたい。
両親はいつも口げんかをしていた
北海道在住の田中文子さん(仮名、48歳)は、小さいながらも会社を営む父親と、それを手伝う母親のもとで生まれ育った。

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母方の祖母は、東北の裕福な家の長女として生まれ、祖父は婿養子。しかし太平洋戦争が始まると急激に貧しくなり、10人いるきょうだいの中から、田中さんの母親だけ北海道へ出稼ぎに行かされた。
20歳で単身、北海道で働き始めた母親は、やがて25歳を過ぎると見合いの話があり、27歳で父親と結婚。
夫婦仲はよくなく、田中さんが物心つく頃には、両親はいつも口げんかをしていた。
「母方の親戚はみんな東北にいるので、母は北海度で孤独だったと聞いています。祖母が亡くなってからもずっと、『恨んでいる』という話を何度も聞かされました。両親の口げんかはしょっちゅうです。私には6歳上に兄がいるのですが、両親がけんかをすると私たちにもとばっちりが来て、母から延々と父の悪口や妄想を聞かされました。母は若い頃から、精神的におかしかったと思います」
田中さんは、中学生になるかならないかの頃に、「うちの母は周りと違うのではないか」と感じ始めた。
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